※記事が長くなりましたので分割しました。前半の記事はこちら
●軍事
中期的には現状の維持と改善、つまり日米安保体制を軸にして事に当たるのがよいでしょう。
集団的自衛権については大いに議論すべきですが、集団的自衛権の行使イコール世界中で米軍と一緒に戦うことになる、というような単純きわまりない発想は早急に治療した方がよいと思います。どこの国であっても自国の軍隊は自国の国益のために存在するのです。アメリカは自国の都合のために自衛隊を引っ張り出そうとするかもしれませんが、それに100%応じるようでは主権国家とは言えませんし、アメリカもまたそれは理解するでしょう。
長期的には、同盟国アメリカの凋落を視野に入れる必要があります。超大国であるアメリカの同盟国はいくつもありますが、その中にあって我が国は破格の扱いを受けています(よく日米地位協定や沖縄の基地問題などの話題で我が国が虐げられているような話になりますが、駐留米兵の個人レベルの犯罪について大統領を筆頭にいちいち遺憾の意や謝罪を述べたりする同盟国は日本だけです)。これが戦後68年我が国が平和でいられた大きな要素ですが、アメリカが超大国でなくなった場合、相対的に我が国のトータルとしての軍事プレゼンスは低下し、外交上不利となる力の空白が生じます。力の空白はだいたい厄介な状況を引き起こしますので、その空白を埋める努力が必要になります。その努力が我が国の軍事力増強であるのか、それ以外の方法となるのか、それはその時の状況によりますが、複数の選択肢を持てるよう今から研究を重ねておくべきです。
短期的な視点としては、最近気になるいくつかのポイントを以下に述べます。
核保有についてですが、議論をすること自体はそれなりに有益だと思います。が、結論から言うと核保有国になることは利益より害の方が大きいと考えます。なぜなら、我が国は中国やロシアなどと比べると国土が小さく人口の都市への集中度も高いため、核の応酬となった場合、簡単に撃ち負けてしまうからです。核兵器について我が国が取り組むとしたら、核の保有ではなく核ミサイルの迎撃技術を高めることの方が有益です。
以前、核廃絶運動をしている人に、どうしたら核兵器の廃絶は可能だろうかと問われました。その人はどのような運動をしたら、という意味で尋ねたのでしょうが、私の答えは「核を上回る超兵器を開発する」でした(もちろん相手は憤慨していました)。どういう意味かというと、兵器の歴史を見るといかなる強力な兵器であっても、いずれそれを上回る兵器が開発・配備され、陳腐化して退役してしまう運命にあります。核兵器も同じことで、核を上回る兵器が出てくれば廃絶運動などしなくても勝手に装備から外されて無くなってしまうことでしょう。では、核を上回る超兵器とは何かですが、これ以上の破壊力はどこの軍も求めていません。今の核兵器ですら持てあまし気味で使うに使えない兵器なのですから、もはや外交上の脅しの道具にすぎません。
しかし、その脅しすら効かなくなったらどうでしょうか。中国にしても北朝鮮にしても我が国に向けている核ミサイルを十分な精度で迎撃されてしまうとしたら、それはもはや脅しにも圧力にもならず、仮に撃ったとしても彼の国の威信やプライドと共に上空で粉々に破壊されるだけになるでしょう。核ミサイルの迎撃技術は、核兵器そのものを陳腐化する可能性が高いのです。
ここまで述べれば、なぜアメリカがミサイル防衛(MD)技術の開発に執心なのかお分かりですね。攻撃と防御、矛と盾を独占することは絶対的な優位を約束するからです。
空母の保有についてもよく議論されますが、これも私は反対です。どうも世間の方々は空母を強力で万能な兵器だと勘違いされている向きが多いようですが、マンガやアニメの見過ぎだと言わざるを得ません。
空母は、どちらかというと攻撃一辺倒の兵器プラットフォームで単艦では自身を守りきれません。そのため空母を中心とした機動部隊や打撃群と呼ばれる複数の艦艇からなる艦隊を編成して運用します。そして、空母に限らず戦闘艦艇は同クラスの艦を4隻持たなければ戦力化できません。ですから我が国が空母をまともな戦力として扱うためには、空母4隻とそれを護衛するためのイージス艦などが12〜16隻、場合によっては随伴する補給艦4隻が最低限必要になるでしょう。人員だけで見ても現在の海上自衛隊の1/3程度が4個の空母機動部隊にとられてしまいます。そして、それだけの資源を投入して何の任務を与えるのでしょう。空母機動部隊はどちらかというと外征向け、他国への侵攻作戦に向いた性格を持つものなのです。
今どき、大日本帝国を再建して世界征服でもしたいというのなら話は別ですが、国土防衛に専念するだけなら、空母はムダの多い買い物となるでしょう。
徴兵制について、これほどバカバカしい議論はありません。自称有識者の面々から徴兵制の是非が議題として挙げられる、これ自体がいかに軍事問題についての彼らの知識や理解が欠如しているかの現れと言えます。
近代戦を戦う軍隊にとって徴兵制は百害あって一利なしです。国を守る精神をうんぬんする方もおられますが、太平洋戦争末期の頃から何一つ進歩されていないようです。軍や兵士にとって攻撃精神はとても大切なものですが、精神のみでは犬死にするだけです。現実の兵器の破壊力は、そんな不撓不屈の攻撃精神など簡単にすり潰すことが出来るのです。湾岸戦争では1000mを超える距離から狙撃されて体が真っ二つになったイラク軍将校がいました。どんな精神力がそれを防げるというのでしょうか。
無人機すら飛び交うような現代の戦場で身を守りながら戦うためには、強靱な肉体と精神のみならず正確で新しい知識や経験、装備に対する高い練度が必要です。そのためには長く高度な訓練を施さなければなりません。徴兵制で多数の自衛官を揃えても、しっかりした訓練をしなくては弾よけ以下の存在となるでしょう。
我が国の防衛力はどれくらいが適切なのか、これは難しい問題ですが他国を侵略したいという願望がない以上、他国からの攻撃を防げれるほどの戦力であれば良いことになります。敵対的な国はどれか、ということを随時見極めながらそれらの国々が我が国に対しての攻撃を躊躇する程度の戦力を維持し続けること。このバランス感覚が大切になるでしょう。
2013年08月16日
8月15日という日に寄せて(2) 〜今後の国家経営と安全保障 情報と経済・外交〜
この日になると毎年恒例なのが、ニッポンの平和を考えるという類のテレビ番組です。例に漏れず今年も放送されていますが、この手の番組を視ていつも感じるのは議論が単純であるということです。
パネリストのひとりが、日本は軍事力で守ることが出来ない国土なのだ、と述べて軍事力を否定すれば、別のパネリストは軍事力を軽視してはいけないといった具合です。
歴史をひもとくと、軍事力のみで安全を確保することはできないということの事例をたくさん見つけることが出来ます。同時に経済力のみや外交力のみでも安全を確保できなかったケースを見出すことが出来ます。何かひとつの要素に話を絞るのは、自分も聞いている相手もわかりやすいかも知れませんが、世界の各国はわかりやすさで競い合っているわけではありません。あらゆる要素や手段は互いに関連し合っており、状況に応じてそれぞれの重要度が変化するものなのです。
さらにきちんとした話をしますと、安全保障を論じるに時間という重大な要素を抜きにすることはできません。強大な軍事力を持てば確かに戦争を挑まれる恐れは少なくなります。しかしそのために経済力が減じられるとなれば、いずれは危険な状態に陥ります。また、外交力で一旦は平和を確保できたとして、自らに関係する各国のなかに話が通じない国が生まれてしまったらどうでしょう。関係国がいつまでも話し合いだけで物事を解決してくれればよいですが、未来永劫変化しない国も個人も存在しません。変化が訪れるのは時間の問題なのです。
ですから、安全保障を考えるためには、
の2点が大切です。どのような政策を採用するかを判断するには、正確な彼我の情勢分析が不可欠です。自国を取り巻く状況はどうか、自国の国力はどれほどあるのか、他国はこちらをどう分析しているのか、などです。そして、情勢や使える手段が分かれば、それを実行に移すための準備をし意志を固めることです。
次に、いつまでその政策は使えるのかという点は、将来の情勢変化を見込むことです。また、いつまで継続するのかということは、まさに未来を予定することです。永遠に続けられる策などないのです。
では我が国は今後どうしたらよいのか、以下に私案を述べたいと思います。
●情報(インテリジェンス)
まず、情報(インテリジェンス)機関の拡大・整備を進めます。60年以上前に建国したイスラエルは国土が小さく入り組んでいるために、インテリジェンスを国防の要としました。我が国は長大な海岸線と多数の島嶼を持ち、防衛しにくい国土でもあります。正確なインテリジェンスを元に機動的に防御しなければなりません。
また、インテリジェンス機関が集めるのは軍事情報だけではありません。軍事力も含めた国力を形作る重大な要素は経済力です。これを守り成長させるために、経済情報をどん欲に集める必要があります。
そして、外交もインテリジェンスがなければ何も出来ません。インテリジェンスは国家の五感そのものなのです。
●経済と外交
次に経済と外交についての提案です。経済は国を支えるというだけでなく、諸国との利害関係を作り出します。たとえ敵対的な関係であっても、経済的な利害が絡み合えば、互いの感情にかかわらず軍事衝突の可能性は減じられることを歴史は教えています。外交については経済とも軍事とも強い関連性があるので、ここでは経済と絡めて述べることにしました。
最近のトレンドはTPPについてでしょうが、私の提案は日本海側の開発を進めて日本海沿岸各国との交易を増大させることです。特にロシアとの関係を深めます。ロシアは今までのところ中国と相成れない関係になっています。安全保障とはバランスオブパワーの成果物である以上、敵の敵は味方というほどではなくとも牽制するために利用できます。もちろんこれは相手にとっても言えることです。
具体的にどう関係を深めるかその方法ですが、北方領土問題についてある程度妥協することで極東シベリアと北極海航路の開発に絡むのです。もちろんアメリカも引き込みます。北極海航路は長期にわたり莫大な利益をもたらすことでしょうが、そのためには日・米・ロが協調せざるを得ない関係を構築するのです。
北方領土問題について妥協すると述べましたが、具体的には歯舞・色丹の2島プラス国後の一部返還で合意するということです(面積2等分案で、国後の全てと択捉の一部ならなお良いですが、ここではあまり欲を出さずに国後の一部としておきます)。これは我が国の世論を大きく揺さぶることになるでしょうが、反対に4島返還ならロシアの世論に激震が走ることでしょう。なぜなら、ロシアの歴史はモスクワの小さな城塞都市から始まる領土拡大の歴史であり、理由もなく領土を失うということは政権を揺るがす程の大事件なのです。しかし、ロシア人もバカではありません。国家経営上の十分な合理性があれば領土の交換や境界の策定などに合意することは近年幾度も見られています。そして十分な合理性とは、我が国との関係を正常化し国後島の上で陸の国境で接することができるという点です。我が国にとっても半世紀以上無かった陸の国境を持つことになります。この国境沿いに経済特区を設けて日・ロ両国の経済活動の接点とするのです。この経済特区は北太平洋とオホーツク海に面し、北は北極海航路、南は太平洋沿岸と日本海への航路に接続します。
台湾、トルコとの関係強化も大切です。台湾は隣国であり親日国でありシーレーンにもまたがっているので重要なのは当たり前ですが、トルコもまた将来の我が国にとって大切な国です。なぜなら、21世紀の中盤はアフリカ大陸の権益が極めて重要になることは明白ですが、我が国がアフリカに入っていくための玄関のひとつがトルコであろうということなのです。トルコは大変な親日国であるだけでなく、古代からヨーロッパとアジア、北アフリカに接する文明の十字路であり、ギリシアの都市国家も多数存在していました。そんなトルコには我々の知らないアフリカへのルートがあるはずです。
さらに教育の話にもなりますが、アフリカで活躍できる人材の育成のため、フランス語教育にも力を入れなければなりません。アフリカ大陸の諸国でそれなりの地位を持つ人々の公用語はフランス語です。広大なアフリカ大陸に権益を求めようとするなら、フランス語ができるビジネスマンや役人はいくらいても足りないくらいでしょう。
→8月15日という日に寄せて(2) 〜今後の国家経営と安全保障 軍事〜に続きます。
パネリストのひとりが、日本は軍事力で守ることが出来ない国土なのだ、と述べて軍事力を否定すれば、別のパネリストは軍事力を軽視してはいけないといった具合です。
歴史をひもとくと、軍事力のみで安全を確保することはできないということの事例をたくさん見つけることが出来ます。同時に経済力のみや外交力のみでも安全を確保できなかったケースを見出すことが出来ます。何かひとつの要素に話を絞るのは、自分も聞いている相手もわかりやすいかも知れませんが、世界の各国はわかりやすさで競い合っているわけではありません。あらゆる要素や手段は互いに関連し合っており、状況に応じてそれぞれの重要度が変化するものなのです。
さらにきちんとした話をしますと、安全保障を論じるに時間という重大な要素を抜きにすることはできません。強大な軍事力を持てば確かに戦争を挑まれる恐れは少なくなります。しかしそのために経済力が減じられるとなれば、いずれは危険な状態に陥ります。また、外交力で一旦は平和を確保できたとして、自らに関係する各国のなかに話が通じない国が生まれてしまったらどうでしょう。関係国がいつまでも話し合いだけで物事を解決してくれればよいですが、未来永劫変化しない国も個人も存在しません。変化が訪れるのは時間の問題なのです。
ですから、安全保障を考えるためには、
1.どのような政策を採用して実行するのか
2.その政策はいつまで通用する見込みなのか、いつまで継続するのか
の2点が大切です。どのような政策を採用するかを判断するには、正確な彼我の情勢分析が不可欠です。自国を取り巻く状況はどうか、自国の国力はどれほどあるのか、他国はこちらをどう分析しているのか、などです。そして、情勢や使える手段が分かれば、それを実行に移すための準備をし意志を固めることです。
次に、いつまでその政策は使えるのかという点は、将来の情勢変化を見込むことです。また、いつまで継続するのかということは、まさに未来を予定することです。永遠に続けられる策などないのです。
では我が国は今後どうしたらよいのか、以下に私案を述べたいと思います。
●情報(インテリジェンス)
まず、情報(インテリジェンス)機関の拡大・整備を進めます。60年以上前に建国したイスラエルは国土が小さく入り組んでいるために、インテリジェンスを国防の要としました。我が国は長大な海岸線と多数の島嶼を持ち、防衛しにくい国土でもあります。正確なインテリジェンスを元に機動的に防御しなければなりません。
また、インテリジェンス機関が集めるのは軍事情報だけではありません。軍事力も含めた国力を形作る重大な要素は経済力です。これを守り成長させるために、経済情報をどん欲に集める必要があります。
そして、外交もインテリジェンスがなければ何も出来ません。インテリジェンスは国家の五感そのものなのです。
●経済と外交
次に経済と外交についての提案です。経済は国を支えるというだけでなく、諸国との利害関係を作り出します。たとえ敵対的な関係であっても、経済的な利害が絡み合えば、互いの感情にかかわらず軍事衝突の可能性は減じられることを歴史は教えています。外交については経済とも軍事とも強い関連性があるので、ここでは経済と絡めて述べることにしました。
最近のトレンドはTPPについてでしょうが、私の提案は日本海側の開発を進めて日本海沿岸各国との交易を増大させることです。特にロシアとの関係を深めます。ロシアは今までのところ中国と相成れない関係になっています。安全保障とはバランスオブパワーの成果物である以上、敵の敵は味方というほどではなくとも牽制するために利用できます。もちろんこれは相手にとっても言えることです。
具体的にどう関係を深めるかその方法ですが、北方領土問題についてある程度妥協することで極東シベリアと北極海航路の開発に絡むのです。もちろんアメリカも引き込みます。北極海航路は長期にわたり莫大な利益をもたらすことでしょうが、そのためには日・米・ロが協調せざるを得ない関係を構築するのです。
北方領土問題について妥協すると述べましたが、具体的には歯舞・色丹の2島プラス国後の一部返還で合意するということです(面積2等分案で、国後の全てと択捉の一部ならなお良いですが、ここではあまり欲を出さずに国後の一部としておきます)。これは我が国の世論を大きく揺さぶることになるでしょうが、反対に4島返還ならロシアの世論に激震が走ることでしょう。なぜなら、ロシアの歴史はモスクワの小さな城塞都市から始まる領土拡大の歴史であり、理由もなく領土を失うということは政権を揺るがす程の大事件なのです。しかし、ロシア人もバカではありません。国家経営上の十分な合理性があれば領土の交換や境界の策定などに合意することは近年幾度も見られています。そして十分な合理性とは、我が国との関係を正常化し国後島の上で陸の国境で接することができるという点です。我が国にとっても半世紀以上無かった陸の国境を持つことになります。この国境沿いに経済特区を設けて日・ロ両国の経済活動の接点とするのです。この経済特区は北太平洋とオホーツク海に面し、北は北極海航路、南は太平洋沿岸と日本海への航路に接続します。
台湾、トルコとの関係強化も大切です。台湾は隣国であり親日国でありシーレーンにもまたがっているので重要なのは当たり前ですが、トルコもまた将来の我が国にとって大切な国です。なぜなら、21世紀の中盤はアフリカ大陸の権益が極めて重要になることは明白ですが、我が国がアフリカに入っていくための玄関のひとつがトルコであろうということなのです。トルコは大変な親日国であるだけでなく、古代からヨーロッパとアジア、北アフリカに接する文明の十字路であり、ギリシアの都市国家も多数存在していました。そんなトルコには我々の知らないアフリカへのルートがあるはずです。
さらに教育の話にもなりますが、アフリカで活躍できる人材の育成のため、フランス語教育にも力を入れなければなりません。アフリカ大陸の諸国でそれなりの地位を持つ人々の公用語はフランス語です。広大なアフリカ大陸に権益を求めようとするなら、フランス語ができるビジネスマンや役人はいくらいても足りないくらいでしょう。
→8月15日という日に寄せて(2) 〜今後の国家経営と安全保障 軍事〜に続きます。
2013年08月15日
8月15日という日に寄せて(1) 〜終戦の日を考える〜
今年もまた8月15日、いわゆる「終戦の日」と呼ばれる日が巡ってきました。この日に戦没者の慰霊をすること自体は良いことだと思いますが、戦争終結の日としている現状には違和感を感じています。今回はこの点について述べたいと思います。
8月15日が終戦の日などと呼ばれるようになったのは、昭和20年8月15日の正午に、「大東亜戦争終結ノ詔書」を昭和天皇が朗読・録音したものをラジオで放送したこと(玉音放送)に由来します。しかし、この放送そのものに法的効力はありませんでした。
戦争の終結の過程を簡単に追うと以下の通りになります。
つまり8月15日という日は、玉音放送という日本国内での衝撃的な事件があった日ではありますが、世界的もしくは戦争当事国だけで見ても単なる日本国内の出来事に過ぎません。事実、第2次世界大戦で日本と戦った国々のほとんどが9月2日を戦勝記念日としています(韓国と北朝鮮は8月15日を記念日にしていますが、両国は日本との交戦国ではありません)。
そして、詔には戦争終結とありますが実態は完全な敗北です。敗戦を記念するという感覚はどうも馴染めません。
毎年、この日にいつも危惧を感じるのは、8月15日に戦争が終わったとする幻想と、敗戦を終戦と読み替える欺瞞的感覚です。先に述べた通り、8月15日は国際法上何の効力もない日なのですが、我が国ではこの日を境に世界大戦が終わったとする認識があまりに強いと感じます。だから8月18日から開始された千島列島に対するソ連軍の攻撃を卑怯な不意打ちと批判するわけですが、ロシアにしてみればまだ戦争中だったという考えでしょうからどれほど批判を浴びせても何の痛痒も感じません。
そして、いかに終戦と読み替えても敗戦は敗戦です。戦争に敗れるということを終戦と呼ぶことによって、なにかソフトでセンチメンタルな印象を帯びますが、あの戦争で我が国は滅亡の縁に追い込まれたのです。そうならずに戦争を終えることが出来たのは、主たる交戦国だったアメリカの戦後の対ソ連戦略という都合によるところが大きく、我が国がアメリカの戦意を大きく挫くほどの致命的な打撃を与えたわけではありません。平たく言えば運が良かったということです。
古代中国の兵法の思想家である孫子は「兵とは国の大事なり、死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり」と述べています。これは、戦争は国家存亡の重大事なので熟慮を重ねて事にあたるようにという意味です。その戦争に敗北するということは、国家の滅亡も覚悟しなければならないということです。
先の大戦では、我が国は敗北しましたが滅亡はしませんでした。でも次もそうだとは限らないのです。戦争は勝たなければ意味がないのです。
こう述べると極めて好戦的な印象を持たれるかも知れませんが、ではそもそも勝利とは何でしょうか。
孫子は「凡そ用兵の法は、国を全うするを上と為し、国を破るはこれに次ぐ」とも述べています。これは戦って勝つよりも戦わずして勝つ方が上策であるということです。これの考えをさらに広げれば、戦争における最大の勝利は戦争せずに国益を得ることとなり砲火を交えた時点で既に2番目以下の出来であるということです。
誰だって学ばないことはうまく出来ません。戦争も同じで、戦争を学ばない国は戦争を回避することも戦って勝つこともできません。これからも平和でありたいと願うなら、戦争をしっかり学ばなければならないのです。
戦争を学ぶとは、戦争の悲惨さとか二度と起こしてはならないとかをことさらに唱えることではありません。そんなことは繰り返し唱えなくとも当たり前のことです。
戦争はどうして起こるのか、どうやってエスカレートするのか、起きてしまったらどうやって勝ち、どのようにして止めるのか。こういったこともしっかり学ぶ必要があるのです。
私たちは、戦争の何たるかを学ばなければなりません。そうしなければ戦争で亡くなった300万柱もの戦没者の死を無駄にすることになると思うからです。
8月15日が終戦の日などと呼ばれるようになったのは、昭和20年8月15日の正午に、「大東亜戦争終結ノ詔書」を昭和天皇が朗読・録音したものをラジオで放送したこと(玉音放送)に由来します。しかし、この放送そのものに法的効力はありませんでした。
戦争の終結の過程を簡単に追うと以下の通りになります。
日本政府が連合国に「ポツダム宣言」の受諾を伝えた日は昭和20年8月14日
連合軍への戦闘行為の停止を命令したのは2日後の8月16日
降伏文書に調印し正式に休戦状態に入ったのは翌月の9月2日
国際法上の正式な戦争状態の解消は昭和27年4月28日の 日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)の発効による
つまり8月15日という日は、玉音放送という日本国内での衝撃的な事件があった日ではありますが、世界的もしくは戦争当事国だけで見ても単なる日本国内の出来事に過ぎません。事実、第2次世界大戦で日本と戦った国々のほとんどが9月2日を戦勝記念日としています(韓国と北朝鮮は8月15日を記念日にしていますが、両国は日本との交戦国ではありません)。
そして、詔には戦争終結とありますが実態は完全な敗北です。敗戦を記念するという感覚はどうも馴染めません。
毎年、この日にいつも危惧を感じるのは、8月15日に戦争が終わったとする幻想と、敗戦を終戦と読み替える欺瞞的感覚です。先に述べた通り、8月15日は国際法上何の効力もない日なのですが、我が国ではこの日を境に世界大戦が終わったとする認識があまりに強いと感じます。だから8月18日から開始された千島列島に対するソ連軍の攻撃を卑怯な不意打ちと批判するわけですが、ロシアにしてみればまだ戦争中だったという考えでしょうからどれほど批判を浴びせても何の痛痒も感じません。
そして、いかに終戦と読み替えても敗戦は敗戦です。戦争に敗れるということを終戦と呼ぶことによって、なにかソフトでセンチメンタルな印象を帯びますが、あの戦争で我が国は滅亡の縁に追い込まれたのです。そうならずに戦争を終えることが出来たのは、主たる交戦国だったアメリカの戦後の対ソ連戦略という都合によるところが大きく、我が国がアメリカの戦意を大きく挫くほどの致命的な打撃を与えたわけではありません。平たく言えば運が良かったということです。
古代中国の兵法の思想家である孫子は「兵とは国の大事なり、死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり」と述べています。これは、戦争は国家存亡の重大事なので熟慮を重ねて事にあたるようにという意味です。その戦争に敗北するということは、国家の滅亡も覚悟しなければならないということです。
先の大戦では、我が国は敗北しましたが滅亡はしませんでした。でも次もそうだとは限らないのです。戦争は勝たなければ意味がないのです。
こう述べると極めて好戦的な印象を持たれるかも知れませんが、ではそもそも勝利とは何でしょうか。
孫子は「凡そ用兵の法は、国を全うするを上と為し、国を破るはこれに次ぐ」とも述べています。これは戦って勝つよりも戦わずして勝つ方が上策であるということです。これの考えをさらに広げれば、戦争における最大の勝利は戦争せずに国益を得ることとなり砲火を交えた時点で既に2番目以下の出来であるということです。
誰だって学ばないことはうまく出来ません。戦争も同じで、戦争を学ばない国は戦争を回避することも戦って勝つこともできません。これからも平和でありたいと願うなら、戦争をしっかり学ばなければならないのです。
戦争を学ぶとは、戦争の悲惨さとか二度と起こしてはならないとかをことさらに唱えることではありません。そんなことは繰り返し唱えなくとも当たり前のことです。
戦争はどうして起こるのか、どうやってエスカレートするのか、起きてしまったらどうやって勝ち、どのようにして止めるのか。こういったこともしっかり学ぶ必要があるのです。
私たちは、戦争の何たるかを学ばなければなりません。そうしなければ戦争で亡くなった300万柱もの戦没者の死を無駄にすることになると思うからです。
2013年08月06日
親日と知日は天と地ほどの違いがある
お隣、韓国の朴大統領が大統領秘書室長など側近に知日派を起用したとのことです。
大昔、ロシアでプーチンが大統領に就任したときも、柔道を嗜む知日派大統領として我が国では歓迎ムードになったことがありました。北方領土問題の進展も期待する向きが多かったのですが、結果は今日までの通り。
この手の話でいつも出てくるのが、日本を知る人だから話がしやすい、という論評です。
とんでもない!
「日本を知る」イコール「日本を好き」ではありません。どういうわけか、毎度こういったお気楽な話が出てくることに、我が国はなかなか進歩しないなぁ、とガッカリしてしまいます。
上記の記事で特に注目されているのが政務首席秘書官。日本語は完璧で日本に知己が多く日本側では「突っ込んだ話ができる人物」として評価が高い、と書かれていましたがこれを素直に捉えれば交渉相手として厳しい相手であるということです。つまり、日本語が完璧でこちらの状況にも明るいのですから、細かいニュアンスや腹の中まで見透かされるということです。
兵法書の孫子に曰く、
彼を知りて己を知れば、百戦して殆(あや)うからず。彼を知らずして己を知れば、一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず殆うし。
とあります。
今回のケースでは、相手は少なくともこちらの状況について高度に理解している可能性が高いと言うことですから、少なくとも五分五分以上の成果を期待できますが、こちらは通訳が必要な状態だとしたら様々な交渉で不利な状況に置かれることでしょう。
親日になってもらうための一歩目は知日であるかも知れませんが、知日が必ず親日に進むわけではありません。勝つために敵を知るという理解もあるのです。
2013年08月03日
安易な嫌韓・反韓は我が国のためにならない
先日も書きましたが、隣の国・韓国の反日がヒートアップし続けています。我が国の内閣府が行った竹島に関する世論調査にも噛みついてきましたが、ここまで来ると内政干渉も甚だしいと言わざるを得ません。
しかし、考えてみればずいぶん以前から歴史の教科書の内容や政治家による靖国神社の参拝などにも毎回口を挟んできていますので、彼らにとってはもはや我が国の内政は自らの内政の問題でもあるのでしょう。
妙な例えになりますが、自転車は本来車道を走るものなのに歩道を走っている現実を警察は長年黙認してきました。今ごろになって違反だと言っても簡単には取り締まれません。法と現実がすっかり食い違ってしまえば、それを修正し法に従わせるのも大変な努力を必要とします。韓国も似たようなもので、我が国は主権国家である、という理解がそもそも出来ていないようなのでここから始める必要があるでしょう。
しかし、韓国とその国民が持つ「日本」についての理解は、一義的には彼らの内面の問題です。彼ら韓国人達が世界と自らの周辺、そして我が国をどのように認識するかは彼ら自身の問題であり、その認識を元に行動を選択することによりもたらされる結果はまず彼ら自身が引き受けなければなりません。
もう少し詳しく述べますと、先日の記事でも示しましたが、おそらく韓国には国内に大きな人権や経済などの不安材料があり、放置しておくと国民感情が乱れ社会の秩序が保てなくなるものと考えられます。そこで外部に敵または被差別民を設定するという古典的な手法を用いているのですが、いつまでも我が国をそのような対象とし続けることは無理があります。
朝鮮半島の歴史・冊封と小中華
朝鮮半島の歴史をひもとくと、おおむね中国の冊封の下に置かれ、たまに独立しても程なく制圧されて属国として封じられ朝貢をするという被支配の歴史です。
歴史上、帝国の版図に入った民族を安定的に支配するための方法は2つあり、ひとつは同化政策、もう一つは階級を設定することによる被差別民の設置です。
ローマ帝国は同化政策を進めて被支配民族をいくつかの手順を踏んでローマ市民と扱うようになりました。その結果、ローマ市民とはローマ人のことではなく帝国における社会的地位となり、ローマ帝国はまさに拡散することになりました。
中国は、中華という思想を用いて、まるでタマネギの断面のように中心から外に向かって段階的な階級世界を作り支配しました。朝鮮半島と日本列島は東の夷狄(いてき)、東夷と呼ばれ野蛮と見なされていましたが、朝鮮半島には小中華という概念もあり自らを中華世界の一部、タマネギの一番外側の皮と考えていたようです。この視点では我が国は卑しい者どもということになり、見下すことにより支配されるストレスの中にあって溜飲を下げることが出来ます。
ところが、事の善悪はさておき19世紀から20世紀にかけて、中華世界の中心たる清国は西洋列強によって散々に簒奪され、東の卑しい島国「日本」にもやられる始末。中華思想は大いに揺らいだことでしょうが、おまけに日韓併合によって冊封体制からも脱することになれば、二千年以上当然の状況だった小中華の世界観は粉々になってしまったことでしょう。
卑しいと見下していた東の島国に支配される屈辱に加え、近代国家や民族自決といった思想や理論を携えた指導者を持たないまま、大戦の終結により主権国家に成らざるを得なかった韓国が、とにかく自国内を安定させるために軍事独裁と強烈なナショナリズム、そして新たな夷狄としての日本を必要としたことは想像に難くありません。
こうして21世紀に至り経済発展を遂げた韓国は、一見して国家経営が成功したように見えますが、国民の世界観・国家観に大きなゆがみを内包することになったようです。そのゆがみを我が国に向けていられるうちは何とかなるでしょうが、バランスオブパワーの変化によってそれが出来なくなった時にどうするのか。
北朝鮮の崩壊
おそらく、じきにやってくる北朝鮮の崩壊がその引き金となるでしょう。北朝鮮が国家の体を成さなくなり、韓国として何らかの保護・管理下に置く、さらには統一朝鮮国家とまでなってしまうと、まず我が国に対する補償の要求を行うことになるでしょう。
我が国は韓国に対しては補償を行いましたが、北朝鮮に対してのそれは未解決です(韓国が補償の問題を蒸し返していることとは別問題です)。しかし、北朝鮮の分を支払って解決してしまうと、いよいよ我が国の立場が、補償は解決済み、という点ではっきりしてしまいます。そして、以後我が国にとって朝鮮に対する補償の問題は、一顧だにできない、問題ですらないという強硬な姿勢になる可能性が高いものと考えます。
まるで怯まない、譲歩しない、さらには干渉を退けようとする「日本」が出現してしまうと、統一朝鮮国家としては譲歩するか対立するかを判断することになります。冷静に考えれば国際関係とはバランスオブパワー、譲歩と力の行使の組み合わせなのですから、相手国に対する戦略的譲歩は敗北でも何でもないのですが、ここまで熱くなってしまった反日感情の元で、果たして我が国に対する譲歩を賢明な国策として受け入れることが出来るのでしょうか。
外部の敵や被差別民を設定するという安定化政策は、一時しのぎにはいいかもしれませんが、ほどほどにしておかないと後にそれを修正できなくなってしまう危険性があるということなのです。そして、国内に溜まった歪んだエネルギーがそれをぶつける相手を失ったとき、一体どこに向かうのでしょうか。
朴大統領は「加害者と被害者という歴史的な立場は千年の歴史が流れても変わらない」とまで言い切りました。千年たっても変わらないことに対してできる謝罪や補償はありません。つまり、いくら謝罪や補償しても効果がない、と明言したようなものです。
いつまでたっても我が国をまともに扱う気がないという姿勢を見せる韓国に対して、もはや打つ手がないとなればこちらも対立せざるを得なくなります。日韓がまるで協調できなくなったとき、両国と同盟しているアメリカの極東に対する影響力は低下せざるを得ません。アメリカという後ろ盾を半ば失うことになる韓国の未来に待ち受けているのは、冊封体制の再来でしょう。
このように、朴大統領の発言は韓国の将来に暗い影を落としていますが、それを国民が認識できず歓迎するようでは、やはり韓国は茨の道を歩むことになることでしょう。
一衣帯水の我が国にとっても朝鮮半島の情勢が混乱することは好ましくありませんが、避けられない道であればそれに備えることも重要です。国の生存を確保するためには強靱なだけでなく、しなやかな国家を建設しなければなりません。
しなやかさを作り出すための最も大切な要素は知性です。一時の感情に流されて韓国や在日朝鮮人達に対する安易な暴言や排斥運動などは、我が国のしなやかさを損なう行為であり、本当に我が国「日本」を愛するのであれば、厳に慎むべき卑しい行為なのです。
しかし、考えてみればずいぶん以前から歴史の教科書の内容や政治家による靖国神社の参拝などにも毎回口を挟んできていますので、彼らにとってはもはや我が国の内政は自らの内政の問題でもあるのでしょう。
妙な例えになりますが、自転車は本来車道を走るものなのに歩道を走っている現実を警察は長年黙認してきました。今ごろになって違反だと言っても簡単には取り締まれません。法と現実がすっかり食い違ってしまえば、それを修正し法に従わせるのも大変な努力を必要とします。韓国も似たようなもので、我が国は主権国家である、という理解がそもそも出来ていないようなのでここから始める必要があるでしょう。
しかし、韓国とその国民が持つ「日本」についての理解は、一義的には彼らの内面の問題です。彼ら韓国人達が世界と自らの周辺、そして我が国をどのように認識するかは彼ら自身の問題であり、その認識を元に行動を選択することによりもたらされる結果はまず彼ら自身が引き受けなければなりません。
もう少し詳しく述べますと、先日の記事でも示しましたが、おそらく韓国には国内に大きな人権や経済などの不安材料があり、放置しておくと国民感情が乱れ社会の秩序が保てなくなるものと考えられます。そこで外部に敵または被差別民を設定するという古典的な手法を用いているのですが、いつまでも我が国をそのような対象とし続けることは無理があります。
朝鮮半島の歴史・冊封と小中華
朝鮮半島の歴史をひもとくと、おおむね中国の冊封の下に置かれ、たまに独立しても程なく制圧されて属国として封じられ朝貢をするという被支配の歴史です。
歴史上、帝国の版図に入った民族を安定的に支配するための方法は2つあり、ひとつは同化政策、もう一つは階級を設定することによる被差別民の設置です。
ローマ帝国は同化政策を進めて被支配民族をいくつかの手順を踏んでローマ市民と扱うようになりました。その結果、ローマ市民とはローマ人のことではなく帝国における社会的地位となり、ローマ帝国はまさに拡散することになりました。
中国は、中華という思想を用いて、まるでタマネギの断面のように中心から外に向かって段階的な階級世界を作り支配しました。朝鮮半島と日本列島は東の夷狄(いてき)、東夷と呼ばれ野蛮と見なされていましたが、朝鮮半島には小中華という概念もあり自らを中華世界の一部、タマネギの一番外側の皮と考えていたようです。この視点では我が国は卑しい者どもということになり、見下すことにより支配されるストレスの中にあって溜飲を下げることが出来ます。
ところが、事の善悪はさておき19世紀から20世紀にかけて、中華世界の中心たる清国は西洋列強によって散々に簒奪され、東の卑しい島国「日本」にもやられる始末。中華思想は大いに揺らいだことでしょうが、おまけに日韓併合によって冊封体制からも脱することになれば、二千年以上当然の状況だった小中華の世界観は粉々になってしまったことでしょう。
卑しいと見下していた東の島国に支配される屈辱に加え、近代国家や民族自決といった思想や理論を携えた指導者を持たないまま、大戦の終結により主権国家に成らざるを得なかった韓国が、とにかく自国内を安定させるために軍事独裁と強烈なナショナリズム、そして新たな夷狄としての日本を必要としたことは想像に難くありません。
こうして21世紀に至り経済発展を遂げた韓国は、一見して国家経営が成功したように見えますが、国民の世界観・国家観に大きなゆがみを内包することになったようです。そのゆがみを我が国に向けていられるうちは何とかなるでしょうが、バランスオブパワーの変化によってそれが出来なくなった時にどうするのか。
北朝鮮の崩壊
おそらく、じきにやってくる北朝鮮の崩壊がその引き金となるでしょう。北朝鮮が国家の体を成さなくなり、韓国として何らかの保護・管理下に置く、さらには統一朝鮮国家とまでなってしまうと、まず我が国に対する補償の要求を行うことになるでしょう。
我が国は韓国に対しては補償を行いましたが、北朝鮮に対してのそれは未解決です(韓国が補償の問題を蒸し返していることとは別問題です)。しかし、北朝鮮の分を支払って解決してしまうと、いよいよ我が国の立場が、補償は解決済み、という点ではっきりしてしまいます。そして、以後我が国にとって朝鮮に対する補償の問題は、一顧だにできない、問題ですらないという強硬な姿勢になる可能性が高いものと考えます。
まるで怯まない、譲歩しない、さらには干渉を退けようとする「日本」が出現してしまうと、統一朝鮮国家としては譲歩するか対立するかを判断することになります。冷静に考えれば国際関係とはバランスオブパワー、譲歩と力の行使の組み合わせなのですから、相手国に対する戦略的譲歩は敗北でも何でもないのですが、ここまで熱くなってしまった反日感情の元で、果たして我が国に対する譲歩を賢明な国策として受け入れることが出来るのでしょうか。
外部の敵や被差別民を設定するという安定化政策は、一時しのぎにはいいかもしれませんが、ほどほどにしておかないと後にそれを修正できなくなってしまう危険性があるということなのです。そして、国内に溜まった歪んだエネルギーがそれをぶつける相手を失ったとき、一体どこに向かうのでしょうか。
朴大統領は「加害者と被害者という歴史的な立場は千年の歴史が流れても変わらない」とまで言い切りました。千年たっても変わらないことに対してできる謝罪や補償はありません。つまり、いくら謝罪や補償しても効果がない、と明言したようなものです。
いつまでたっても我が国をまともに扱う気がないという姿勢を見せる韓国に対して、もはや打つ手がないとなればこちらも対立せざるを得なくなります。日韓がまるで協調できなくなったとき、両国と同盟しているアメリカの極東に対する影響力は低下せざるを得ません。アメリカという後ろ盾を半ば失うことになる韓国の未来に待ち受けているのは、冊封体制の再来でしょう。
このように、朴大統領の発言は韓国の将来に暗い影を落としていますが、それを国民が認識できず歓迎するようでは、やはり韓国は茨の道を歩むことになることでしょう。
一衣帯水の我が国にとっても朝鮮半島の情勢が混乱することは好ましくありませんが、避けられない道であればそれに備えることも重要です。国の生存を確保するためには強靱なだけでなく、しなやかな国家を建設しなければなりません。
しなやかさを作り出すための最も大切な要素は知性です。一時の感情に流されて韓国や在日朝鮮人達に対する安易な暴言や排斥運動などは、我が国のしなやかさを損なう行為であり、本当に我が国「日本」を愛するのであれば、厳に慎むべき卑しい行為なのです。

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