感情論も絡んで、すっかり対立関係になってしまった両市の主張は今のところ平行線のままです。未だにこんな事で揉めているようでは、新幹線の利活用による道南経済の振興など絵に描いた餅になりそうですが、いったいどうしたらよいのでしょうか。
最初の計画はもっと別な場所だった
函館市の政財界には、未だにJR函館駅(以下、現函館駅と称します)への新幹線乗り入れを主張している人々がいます。主張することは自由ですが、それがどれほど現実味のある話なのかをよく考えなければなりません。

はっきり申しまして、現函館駅への新幹線乗り入れは元から可能性のない話です。1973年に整備新幹線計画の1線として始まった北海道新幹線ですが、「新函館駅(仮称)」のもともと計画されていた場所は函館どころか旧大野町(現在の北斗市)ですらなく、なんと大沼の付近でした。
新幹線はスピード重視の路線なので、在来線と異なりできるだけ直線に近いルートを選択します。そのため山があれば迂回せずにトンネルを掘ってルートを確保します。木古内から札幌方向へ直線状のルートをとると、函館・大野平野ではなく大沼・森町の方向になってしまうのです。しかし、道南の中心都市は函館市であり新駅が大沼付近となってはあまりに遠すぎるため、最大限に函館側に寄せたルートが現在建設中のルートなのです。
現在のルートは大野平野で大きなカーブをたどりながら市渡の新駅に乗り入れする形になっていますが、新幹線は半径約3,000m以下が曲がれないため、大きなカーブに見える現在のルートは新幹線にとっては急カーブなのです。
スイッチバックは不可能
では、現函館駅に真っ直ぐ入り進行方向を逆にしてから札幌に向かえばよい(スイッチバックといいます)という意見を述べる方もいらっしゃいますが、これも可能性はありません。新幹線のスイッチバックは認められていないのです。
秋田新幹線はスイッチバックしているじゃないかという反論もあるかも知れませんが、秋田新幹線は新幹線ではありません。ミニ新幹線と呼ばれている秋田新幹線と山形新幹線は、在来線の軌道を標準軌(1,435mm)に改軌し高速化改良を加えた上で、新幹線路線と直通運転できるようにしたもので、法律上は在来線のままなのです。ですから、秋田新幹線のスイッチバックは参考になりません。
現函館駅は新幹線規格で整備したという話
2003年に供用開始した現函館駅は、新幹線規格で整備したという話になっています。しかし、当時合併前の大野町議会議員だった私は、新幹線関連の中央陳情で総務省の担当者からある話を聞きました。それは、私たち陳情団と担当者の次のようなやりとりでした。
[我々] 今からでも現函館駅への新幹線乗り入れは不可能なのでしょうか。(私たち大野町の議員団としては、函館市との良好な関係も重要だという認識がありました)
【担当者】技術的に見てもあり得ません。
[我々] スイッチバックすれば可能なのではないですか?
【担当者】それもあり得ません。(理由は前述の通り)
[我々] では、何らかの方法でとにかく現函館駅に新幹線が乗り入れるとすると、どういう方法が考えられますか?
【担当者】北海道新幹線の整備はそこで終了です。札幌への延伸はなくなります。それで北海道や札幌市は納得しますか?
[我々] ・・・・・。
と、このような話でした。国の視点では、函館市に最大限配慮して今の位置になったのであり、これ以上の譲歩はあり得ないという感覚なのです。
問題は、この話は秘密でも何でもなく私たち地方議員の質問にあっさり答えてもらえる程度の情報なのです。ですから、函館市の担当者であっても当然承知のことだったはずです。それなのに新幹線規格で駅舎を建てましたとはどういう話なのでしょうか。
函館市の政財界の方々と北海道新幹線について話をすると、情報やその理解についてのバラツキに驚くことがあります。国の方針では現函館駅への乗り入れは、ずいぶん前から可能性が無くなっていたという情報は、誰も入手できなかったのでしょうか。それともどこかで誰かに握りつぶされてしまったのでしょうか。
可能性がないのに多額の予算を投じて駅舎を建設したのなら、それはずいぶんと罪深い話です。
新駅の名称はもともと新函館駅だった
大野町(当時)の議会議員としては、新幹線の新駅が自分の町にできるということは実に喜ばしいことでした。しかし議会や委員会の場などでは、新駅の名称については一貫して「新函館駅(仮称)」と呼んでいました。もちろん「新大野駅」などという名称になればそれは誇らしい話ですが、いくらなんでも新幹線の駅名に大野はないだろうという認識でした。
状況が変わったのは上磯町(当時)との市町村合併を経て新たに北斗市となってからです。初代市長を選ぶ市長選挙の最中に後に当選して初代市長となる海老澤順三氏が「北斗駅」なる名称を主張し始めたのです。選挙が終わって市長室に挨拶に伺った際に真意を尋ねたところ、率直に「北斗駅という名称になる可能性はない」という話をされました。
海老澤前市長の作戦は、いったん北斗駅という主張をぶつけておいて、後に妥協して北斗と函館の両名併記に落ち着くというものだったようです。このような交渉戦術はまさに玄人の手並みであり、事実そのような状況に近づきつつあります。
問題は、このような高等戦術を理解しないで感情的になってしまう人々が、騒ぎを大きくする点にあります。そしてこういった人物は函館市側にもたくさんいます。
函館市は地域のリーディングシティなのか
2004年6月に北海道新幹線の着工が決定し、新駅と関連施設の建設について費用負担をどうするかという課題が生まれました。当時の大野町は函館市にも費用負担を求めましたが、にべもなく拒否されました。函館市側は、現函館駅に新幹線が乗り入れることもなく、新駅が市内に作られることはないことがはっきりしたため、北海道新幹線についての当事者となる意志がなくなった様子でした。その後、合併により誕生した北斗市が建設費用の負担分をそのまま引き継いだため、北斗市側には「カネも出さない函館市に意見する権利はない」という市民感情が少なからずあります。
道南を俯瞰すると、函館市は政治的、また経済的にも道南におけるリーディングシティと呼ぶべき存在です。ところが、当の函館市はそういった意識がいささか薄いと言わざるを得ません。新駅の費用負担の問題のみならず、並行在来線となるJR江差線の経営分離問題でもなかなか当事者になろうとはせず、江差線など知ったこっちゃないといった態度でした。現函館駅の1日の乗降客数は約8,000人ですが、この全てが五稜郭駅からの乗客と札幌東京間の乗り換え客というわけでもないでしょう。現函館駅で乗り降りする利用客の一部は北斗市や木古内町などからの乗客なのです。多額の予算を投じて駅舎を建て替えた点を考えると、ますます利用客を増やすために積極的に関与しなければならないはずです。
こういった点や、市内観光拠点や街並みの整備の不徹底を見ると、函館市の問題意識やリーダーシップは弱いと思わざるを得ないのです。
我が北斗市のとるべき道
北海道新幹線の開業を控えて、北斗市は様々な観光資源開発を計画しているようですが、私はいささか疑問に感じています。
批判を恐れずに申しますと、我が北斗市が新駅に関連してとるべき施策は大きく二つ、
1.観光は他のマチに任せて中継役に徹する
2.東北経済圏とのつながりを築いて、企業誘致を行う
です。
道南の観光振興については、以前の記事でお示ししていますのでそちらをご一読頂きたいと思います。
道南の観光振興を考える(1)
道南の観光振興を考える(2)
道南の観光振興を考える(3)
企業誘致については、高谷寿峰市長が精力的にトップセールスを行っていますが、より効果的な方法で行うべきです。
企業の視点から見ると、よその市長が誘致のために訪ねてきたところで、そう簡単に進出を検討したりはしません。企業が他の地域に進出をはかるとしたら、その判断基準は「その地域で儲かるか」という点に尽きます。想定されるリスクを上回る利益が予想されるなら、企業は利益を求めて進出を決断します。企業の利益を役所が約束するということはそう簡単にできることではありませんが、リスクを減じることはある程度できます。進出した企業に補助金を交付することもリスクの低減ですが、あらかじめ人脈を構築してやることもまたリスク低減につながります。つまり、市長や担当課の職員だけがトップセールスに歩くのではなく、市内の主立った企業や金融機関の要人も常に同行してもらうのです。
そうすれば、市長がトップセールスでこじ開けた扉を通して互いに行き来することができます。
私も現在、ある工場誘致の事案に関わっています(詳細はまだ明かせません)。相手の担当者は市議会議員としての私の存在に価値を見出していた様子で、落選したときはいろいろと苦言を頂戴しました。それでも数年内には何らかの結果が出そうです。我が北斗市の経済振興にわずかでも貢献できれば幸いです。
新幹線は一自治体の専有物じゃない
新幹線は一自治体のものじゃないと強く感じるようになったのは、2005年の着工式からです。

来賓として幾人もの国務大臣や国会議員などが集まり、それらをアテンドしていたのが高橋はるみ北海道知事だったのです。知事がスタッフとして来賓ひとりひとりに頭を下げてお迎えする姿は、新幹線は国家プロジェクトなのであってひとつの町や地域が勝手に振り回して良いものではないということをまざまざと物語っていました。
北海道新幹線は道南全てに恩恵をもたらすものでなくてはなりませんし、北斗市も函館市も海に浮かぶ孤島じゃないのですから、経済的には互いに深くつながりあっています。だから、北斗市だけが新駅を使ってひとりで儲けることはしてはなりませんし、そもそもできやしないのです。道南の持つ全ての力を集めて、全体で豊かになる道を探らなくてはならないのです。