2015年04月20日

「雇用・防災・福祉・教育」私の政策について

 19日より、北斗市議会議員選挙がはじまりました。議員として、政治家として政策を持つことは当たり前の話ですが、私が今回特に掲げている主な政策は表題の4点です。ポスター.ai.jpg
 どれも大変難しく複雑な政策ですが、ポスターや公選ハガキでは紙面が限られるため、表題のようにキーワードだけを掲げるしかありません。街頭演説ではもう少し詳しくご説明することができますが、演説はその瞬間だけのものなので、ブログにも記しておこうと思います。

雇用について
 雇用というキーワードに集約していますが、平たく言うと産業振興企業誘致ということになります。ほとんどの候補者が口にしているフレーズですが、言う程簡単なものではありません。
 私が注目しているのは、北海道新幹線の開業と農業の振興です。開業まで1年を切った北海道新幹線は、いろいろとデメリットも指摘されていますが、しかし半世紀に一度くらいあるかないかの大きな変化には違いありません。そして、変化はそのままでは振り回されるだけですが、しっかり取り組めばチャンスに転じることができます。
 北海道新幹線の開業によって、関東・首都圏とのアクセスが改善されることはもちろんですが、東北経済圏とはより短時間でアクセスできることになります。道南と東北の歴史的な縁は、私たちが思っている以上に深いものがあります。経済活動は突き詰めれば人と人の結びつきによって成るものです。歴史的な縁は必ずなにがしかの果実を生み出すものなのです。
 農業については、世界の食糧事情から将来の予測がつきます。かつて世界には、全人口の1.5倍から2倍くらいの穀物生産力がありました。しかし、ここ数年その差は縮まっており、食糧自給率(カロリーベース)が4割程度の我が国にとって、これは全く歓迎できないことですが、農業・水産業などの1次産業が基幹産業の北斗市にとっては生産品を高値で売れるチャンスと捉えるべきです。
 しかし、そのチャンスが訪れるまで農地を保全し担い手を確保しなくてはならず、それを農家の自助努力だけでまかなうのはいささか無理があります。そのためにも効果的な農業政策を打つことはとても重要です。

防災について
 私は、8年以上の海上自衛隊勤務とその後の18年に及ぶ予備自衛官としての経験を積んでいます。衣食住が失われたり滞ったりしたらどうなるのか、その時どのようなストレスがかかるのか、どのように行動し、どうしたら困っている隣人を救助できるのか、様々な教育訓練を受けました。
 そんな私だからこそ、見えるものがあります。市町村などの地方自治体は消防を除き「平時の役所」です。普通の職員は、炎に包まれた建物の中に飛び込んだこともなければ、作業服のまま首まで水に浸かって作業をした経験もありません。何日も風呂にも入れず、冷たくて訳のわからない味の食事しか摂れず、堅い床や地面で寝て過ごしたり、2時間おきに寝たり起きたりなどという無茶苦茶な目に遭うこともありません。しかし、自衛官はそういったことも訓練で経験します。だから本番に強くて、困難な状況におかれても簡単に士気は下がりません。
 そして、大規模災害時には同じ地域の住人でもある自衛官は、同じく被災者なのに被災者として振る舞うことは許されず、また望みもしません。それが任務なのですから。
 しかし、市役所の職員などはそういった訓練や経験がないにもかかわらず、大勢の被災者を支えなくてはなりません。自らも被災者なのに、そこを抑えて人のために働くことは、大変ストレスがかかるはずです。だから平時から少しでも多くの経験を積まなくてはなりませんが、そのために私自身の知識と経験を役立てることができると思うのです。

福祉について
 ここでいう福祉とは、広義の福祉である「公共の福祉」ではなく、高齢者や子育て世帯など一般的に社会的な保護を必要としている件についてです。
 私はもともと高齢者という言葉は嫌いです。単に年齢が高いという意味しか持たないこの言葉に、尊厳を感じないからです。ですから、状況が許す限り「お年寄り」「ご老人」、場合によっては「先輩」と呼ぶようにしています。
 今日までこの国と地域社会を築いてきたのは、そのお年寄りでありご老人であり大先輩達です。70年前、焦土と化したこの国を立て直したのも先輩達であり、150年ほど前に西洋列強の植民地政策を寄せ付けず、近代化への道を歩んだのも先輩達。世界に誇る様々な文化や芸術を生み出したのも歴史上の大先輩達です。
 私たちのような、より若い世代はこの先輩達が築いた国と地域社会で生まれ育ち、これを引き継ぎ、よりよいものにしなければなりません。そして、艱難辛苦に耐えた先輩達に敬意を持って接し遇さねばなりません。
 そのためには、まず先輩達を尊敬し誇りを感じてもらわなければなりません。私はこの先輩達を高齢者と称して社会的弱者として扱うことに疑問を感じます。
 そして、社会をより良くしていくためには、次世代を育んでいかなければなりません。そのためには、子育て世帯に手厚い政策を立案実行していくことは自明の理であると考えます。

教育について
 先にも述べましたが、次世代を育んでいくことは社会をより良くしていくための絶対条件です。公共事業というと、道路や橋、上下水道などの整備や施設・建物などの建設をイメージしますが、最も価値のある公共財は社会を構成する「人」そのものです。その人をつくるための教育こそ、最高の公共事業なのです。
 長期の展望を持った教育行政は何にもまして私たちの将来を担保してくれます。歴史をひもとけば、教育をおろそかにした国に長期の繁栄と生存はありません。

 以上のような内容の街頭演説をしております。それぞれの内容はおおざっぱなものですが、もっと詳細に語ると時間がかかりすぎるので、どうしても概念論的にしかなりませんが、どこかで見かけたときにはお耳を貸していただけると光栄です。
posted by しらいし at 02:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治・行政

2015年04月03日

高坂重勝氏のFacebookの記事を読んで

 今朝、北斗市で高坂農園を経営されている、高坂重勝氏のFacebookの記事を読みました。実に興味深い問題提起だったのでコメントを書こうかと思ったのですが、あまりに長くなったのでブログに書くことにしました。
リンク:高坂氏の記事『日本の食料自給率について』
(Facebookのアカウントが必要です)
 高坂氏のその記事は、「かなり長文です m(_ _)m 食料自給率の件についてちょっと皆様の意見をお聞かせ願いたいです」という書き出しから始まる、食糧自給率(カロリーベース)の解説と生産者としての考え方、需給のミスマッチなどについて書かれています。Facebookのアカウントをお持ちの方は是非ご一読いただきたいと思います。

 高坂氏の記事の冒頭に『日本の食料自給率について』と題して、カロリーベース総合食料自給率についての説明がありました。詳しくは氏の記事をお読みいただくとして、私は食糧自給率について私見を述べたいと思います。

有事とは何か
 食糧自給率について議論を展開する際に、この概念は基本的に国家安全保障の分野になりますから、「有事とは何か」という前提が必要になります。
 一般に有事と言えば軍事上の紛争や衝突、戦争などを指しますが、これは狭義の有事であって、広義には「その時点の国家にとっての弱点を突かれること」です。何の原因も状況もなく軍事力を行使することはありえず、その前段階として様々な利害の衝突やミスマッチがあります。そしてその状況を解消しようとする国家によって自国の弱点を認識され利用されることにより危機が生じ、そこから脱しようとして対立がエスカレートし、時に軍事力の行使を選択するのです。

我が国の弱点とは
 我が国の弱点は、食料やエネルギーを含む様々な資源の自給率の低さです。しかし150年ほど前までは、ほぼ自給自足の経済でした。つまりそこまで国の姿を戻せば、自給率の話は心配ナシとなります。
 この場合、生活スタイルだけでなく国全体の話になりますから、道路も舗装はナシ、ネットどころか電話もナシ、自動車も鉄道も飛行機もナシ、自衛隊も警察もナシですからそもそも国防自体できません。
 もちろんこれでは馬鹿げた想定になりますから、自給率に経済の方を合わせるという話は、危機感を煽るときのたとえ話ということになります。
 食料は地下資源と違ってどこでも生産できるという屁理屈もありますが、高坂さんの話でもバナナの部分で出てきたとおり、現実に必要な量を生産できないものはたくさんあります。

ほとんどの国は輸入に頼っている
 そもそも、多様な生活スタイルを実現したければ、ほとんどの国で何らかの資源が不足していて、輸入に頼らざるを得ません。
 安定的に資源を輸入するためには、その買い物の支払いを継続できる経済力と、国際社会の安定と平和の維持が必要です。
 輸入の支払いにあてる経済力とは、結局のところそれに見合った何らかの形の輸出であり、その品目は資源でも製品でも資本でも、場合によっては人材でもかまいません。
 国際社会の平和と安定の維持については、日頃から経済力・外交力・軍事力などのパワーバランスをとる努力が必要です。
 このパワーバランスの大きな要素の一つが自給率という概念なのです。

パワーバランスの要素としての自給率
 自給率があまりに低ければ、それは他国に弱点と見なされ、そこを締め上げれば屈服すると認識されます。しかし締め上げたところで、その国と国民が我慢すればすむ程度の低さであれば、弱点とは言えません。
 また、シンガポールのようにほぼ自給は不可能な国家もありますが、その分、国際社会にとってなくてはならない価値があれば、それでも安全は確保されます。
 つまり、自給率が100%を超えなければ問題だというわけではなく、どの程度国内で確保していれば良いのかは、その国の置かれた状況によって違うわけです。また、自給率100%以上の国は資源輸出国になると考えられますが、その資源が世界の市場で供給過剰になったりすると、国内経済にも悪影響が出るので輸出国の立場が強いと単純には言えません。
 したがって、市場をコントロールできる国こそ立場が強いということになります。市場をコントロールするためには、強くて柔軟な外交力や軍事力、経済力が必要です。資本や基軸通貨を制御できる仕組みも必要です。
 自給率という数字は、危機に対する強さを表すものと言えます。それが全てではないし、しかし軽視して良いものでもありません。

食糧自給率と安全保障
 安全保障と自給率の関係を述べましたが、特に食料自給率に関して注目すべきはヨーロッパで以前から導入されている直接支払い制度などの農業保護・育成政策です。食糧自給と安全保障は強い関連のある概念ですから、採算性のみでこの問題に取り組むことはありえません。
 ところが我が国においては、そこを民間の経済活動に大きく頼るというところに問題があります。軍事力によって国防を担う自衛官は公務員で給料が支払われるのに、食料生産を担う農家等の生産者は、そこは採算ベースで自分の稼ぎでという話はいささか無理があると思います。もちろん農家を公務員に、という話ではありませんし、農家だけが国の重要な産業という話ではありませんが、我が国にとって重要な要素だと考えるならば、それ相応の待遇が必要だと思うのです。

金を積めば良いという話ではない
 世界全体の食料生産力は、近年まで世界人口を上回っていました。これは、需給のミスマッチを解消できれば飢餓を解消できるということであり、我が国においては金さえ出せば食料を輸入できるという意味になります。
 しかし徐々に供給力に人口が追いついてきており、いずれは拮抗し逆転する状況が想定されます。世界の食糧生産力が恒常的に世界人口を下回る状況とは何かと考えると、それは金を積んでも食料を売ってもらえないということです。
 この危機を回避するためには何をすれば良いのか。
 それは、国内においては生産者と消費者の関係を適切にすること。つまり、適切な価格とは何か、満足すべき量と質はどの程度か、生産者が生産の維持拡大をするために必要な状況を作るにはどうしたらよいのか、そして消費者においては「足るを知る」ことも重要です。
 国際社会においてもこれは同じ事で、供給国との関係を良好に保つこと、相手国の求める何かを提供し、我が国の求める資源を供給してもらうこと。そして、その関係を維持していくことです。
 いずれにおいても、適切で良好な取引関係を構築することが肝要なのです。

 昔、ある経済学の本を読んでいたときに「商取引とは価値の交換だけでなく良心の交換も伴う」とありました。けだし名言であると感じました。
 私たちを日々生かしている食とは何か、それを作っているのは誰か、どのような仕組みで私たちの食卓まで届くのか。
 私たちはもっとこの問題を深く理解する必要があると思います。
posted by しらいし at 13:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済

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