本の内容は、タイトル通り縄文人の世界観というテーマについてシンボリズム(象徴体系)とレトリック(修辞法)という視点から読み解いていくという、大変意欲的なものです。私もさっそく取り寄せて読んでみましたが、いろいろと考えさせられるものがありました。私見も大幅に交えて、以下にいろいろと述べたいと思います。
■一見して読みやすいが
まず、文章そのものは平易に書かれており、流れるように読み進めることができます。が、それで理解しやすいと思うのは早計です。執筆するにあたってのバックボーンとなる識見は膨大であることが行間から読み取れ、本書について十分に理解するためには他の本やテキストを合わせて読まなくてはならないでしょう。しかし、ある本を読むために他の本を読むなんてことは基本ですので、こんな程度で怯んではいけません。最低限、前著である「月と蛇と縄文人」と、大島先生を含めた6名の講師による講座記録集である「縄文人はどこからきたか?」の2冊は先に読んでおくことをお勧めします。
■リアルな縄文人
本書で著されている大きな視点のひとつは、現代社会が重んじる合理性と縄文人にとってのそれは違うというものです。これまでの考古学者達は発掘された遺物や遺跡を合理性(特に経済合理性)の視点で捉えようしていた点に、本書では警鐘を鳴らしています。
たとえば、縄文土器や土偶はなぜ奇妙奇天烈な形状なのか、竪穴住居は本当に住居だったのか、貝塚は貝殻というゴミの処分場だったのか、といった具合に次々と疑問を投げかけます。つまり、縄文土器は生活のための什器ではなく祭祀具だったのではないか、竪穴住居が住居であったという根拠は何か、貝殻が積み上がっているからゴミ処分場という解釈は現代社会的であっておかしいのではないかと考えるわけです。
そこから、なぜ縄文人はそれらのモノや施設を作ったのか、縄文人は何を求め続け、どのような思想を持っていたのか、と考えを進めそれを解き明かすためにシンボリズムとレトリックという視点をもって縄文土器や土偶、遺跡などを読み解きそれを生み出した心性を捉えようとしています。
縄文時代とその文化・社会について、文献や記録などは残っていません。ですから縄文人の心性を論じるなど、空理空論であると断じる方々も多くおられると思います。しかし、縄文人は現代社会に生きる人々でも、つい最近まで存命だった人々でもなく、まさに弥生時代に先立ち約1万年も続いた縄文時代に生きた人々であり、その心性を科学的に読み解こうとする挑戦は、その時代・その世界に生きるリアルな人間として縄文人を捉えようとしていることに他ならないと思います。
■合理性という幻想
私たちが生きる現代社会は、科学的・論理的な合理性というものを重視して様々な発明や工夫を重ね「進歩」していくと考えられています。そのためか、縄文に限らず過去の遺物や遺跡についても経済的合理性から読み解こうとする傾向があります。そこには、常にヒトや社会は進歩発展するという大前提となる考え方が働きます。総論的にはそうかもしれませんが、進歩というものの意味や方向はその時代や世界の持つ思想により異なるはずです。
本書では、縄文人の目指した方向は「再生」であると述べています。それは私たち現代人の持つ方向性とは異なるものです。ここは大変ダイナミックな展開になるので、ぜひ本を手にとって直接読んでいただきたいところです。
ところで少々脱線しますが、私には科学的進歩を大いに誇る現代人とて、それほど合理的であるようには見えません。
いささかどぎつい例になりますが、国会や地方議会などは国民・住民の代表として選ばれた議員によって構成され、さまざまなことをそこで議論し議決しますが、その内容について時折、くだらないとか馬鹿げていると感じることもあるのではないでしょうか。しかし、議員達は歳末福引きで議席が当たったとか、誰かから分けてもらったとか、早い者勝ちで手を挙げた順番で当選したわけではありません。有権者の方々が選挙で投票して選んだ面々なのです。適任と思われる候補者を大勢で選出したのですから、合理的・論理的で適切な仕事をテキパキやりそうですが、残念なことに現実はそうじゃない方もいらっしゃいます。そして、提案される議案についても形式的でさほど中身がないものやメンツや都合で出てきたようなものも時々あり、それらの組み合わせによっては実に非合理的な展開が待ってます。
また議会だけでなく社会全体も同様で、どう考えてもまがい物としか思えないような代物やサービスに多額のお金を支払ってしまったり、少子化を懸念する人々が保育所の建設に反対してみたり、景気対策を政府に訴えながら自身の消費を最小化しようとする(合成の誤謬と言います)など、非合理的な行動など枚挙にいとまがありません。
つまり、元々人間なんて「わかっちゃいるけどやめられない」非合理的な存在であり、だからこそ合理的でありたいという指向も持ち合わせているということなのです。「三歩進んで二歩下がる」と歌った人もいましたが、その二歩下がることをことさら否定せずに、トータルで一歩進んだんだから良かったじゃないか、と日々納得すればよいのです。
■縄文人は定住していたのか
昨今、縄文文化は農耕せず狩猟採集だったのにもかかわらず、定住し集落を形成し、1万年もの長きにわたって維持するという人類史上、他に例を見ない文化である、という見方が出てきています。私も最近までその見方に同意していました。が、本書では縄文のムラは、いわゆる都市に発展するという意味での集落ではなく、もっと違った集合原理によっていたのではないか、という疑問を投げかけています。
現代人である私たちは、社会というものの構造は下記のように個人を最小単位として階層的に構成されていると考えます。
個人<家族<集落<市町村<都道府県<国<世界
しかし、大島先生はそもそも個人という概念はあったのか、という考えをお持ちのようです。この考えは一見、荒唐無稽に感じられるかもしれませんが、現代につながる私たちの社会においても、個人という概念は時代とともに大きく変化しており、私たちが持つ個人とか自己という概念は案外新しいものなのです。
さて、縄文人は定住していたのかという問題ですが、ある遺跡から出土した土器類のうち、その土地で作られたと思われるものは全体の2割程度だったという話がありました。残りは他の土地から持ち込まれたということになりますが、これをもって現代人である考古学者達は「縄文時代にすでに交易があった!」と解釈します(私も小躍りしました)。ヒスイなども大変人気があった様子で、現在の新潟県から産出したものが北海道でも出土しています。
ところが、大島先生はこれを交易と捉えず、単に持って歩いていたのではないかと考えている様子です。つまり、縄文人は定住していたのではなく小集団が移動しながら生活していたのではないかということです。この考え方は、おそらく今の考古学会から大きな反発を受けるものと思われます。せっかく「農耕じゃないのに定住している!」というスゴイ話になったのにそれをパーにしちゃうじゃないか、というわけです。
しかし私は、「農耕じゃないのに定住している!しかも1万年!」なんてちっちゃい話で終わらないスゴイ仮説になるんじゃないかと考えています。
■自己というモノが存在するという幻想
自己と世界の境界が曖昧な精神の持ち主が、死を否定し再生を願う思想を持つとき、その世界観は現代人とは大きく異なるものになるでしょう。そもそも私たちにとっての死と縄文人にとっての死は、大きく異なるものかもしれません。
私たちにとって死とは自己と肉体の終焉であり、自己というモノが消滅するという恐怖を抱いています。その恐怖から逃れるために、自己の代替として魂とか霊魂とかいう概念を考え出し、あの世に行くとか天国に行くとかいう「次の行き先」を用意して死は肉体のみであるとして肯定してきました。いわゆる宗教という救済システムです。
縄文人が、このような自己という概念を持っていなかったとしたら、死を恐れる精神はもっと本能的な、生物として生き抜こうとする感覚だったかもしれません。
いささか話は脱線しますが、昨年の11月に10年間一緒に暮らしてきた愛犬が亡くなりました。最後の9ヶ月ほどはガンに冒されひどい有様でしたが、しかし彼は最期まで生きることを諦めず、病の苦痛に耐えていました。
現代においても動物は死ぬ瞬間まで生き続けようとしますが、人間だけは生きてるうちから死にたがります。大島先生は講演会において、縄文人には自殺・自死はなかったと述べていましたが、現代人と縄文人とでは生と死の意味が異なっているということなのでしょう。もしかしたら自己という概念は、システマティックな社会という構造を持ってしまったが故に生み出さざるを得なくなった、一種の幻想なのかもしれません。
幻想にとらわれていない生と死であるならば、そして自己という幻想の殻がないのであれば、自分と周囲の人々との間は、境目のない連続した関係になることでしょう。
「私」は自身の肉体だけに宿り閉じこもるのではなく、少しづつ薄まりながら周囲に、世界に広がって他者と混じり合っている。肉体はその「私」の一番濃い中心部に過ぎないのであれば、死とはその一番濃い部分だけが薄まり平らになることであり、溶け合い混じり合った世界のどこかに、いずれまた集まり濃い部分として「再生」される。その再生を確実にするために、効き目のありそうなことをいろいろと世代を超えて試していく。
そんな精神を持った人々の小集団が移動生活をする世界にあって、大規模な祭祀施設を作るとすれば目的は何でしょうか。それは、再生を願う精神の緩やかな集合体の循環によって形作られた施設なのではないでしょうか。
地球の海には海洋大循環とよばれる、表層と深海の海流がベルトコンベアのようにつながる大きな流れがあります。それは赤道付近で暖められた海水が海の表層を極地に向かって流れ、そして冷えて沈み込み深海を赤道付近に向かってゆっくりと流れていく。そしてまた暖められて表層に湧き上がってくるという巨大な循環で、その行程は数千年かかっていると考えられます。
縄文人達の移動もシステムとして作られたのではなく、日本列島の中で自然と出来上がった大循環であったのなら、海洋大循環の湧き上がったり沈み込んだりする海域のように、循環のための継ぎ目や踊り場のような場所として形成されたのだとしたら、私たちが考えるような社会システムがなければ労働力を動員して何か大きなものを作り出すことはできない、などという考え方を葬り去ることになるのかもしれません。
そして、進歩という変化を求め続ける現代社会のあり方は、常によろめき続ける不安定さを招くことであり、なぜ縄文文化が1万年も続いたのかという問いを続けることは、いずれ文明論の大転換につながるのかもしれません。