2016年05月30日

「さよならパヨク」を読んでみました

 以前アップした記事SEALDsの本を読んでみました「SEALDs 民主主義ってこれだ!」を読んだ感想を述べてみましたが、今回は千葉麗子氏の「さよならパヨク(青林堂)」という本をちょいと読んでみました。
 なぜこの本を読んでみたのかと申しますと、理由のひとつはその前に読んでいたのがE・H・カー著「歴史とは何か(岩波新書)」、大島直行著「縄文人の世界観(国書刊行会)」、バルザック著「谷間の百合(新潮文庫)」など、知的な好奇心を大きく揺さぶられる本が続いたため、これはこれで大変至福なのですがたまに休憩がてらカンタンな本も読んでみたいな、と思ったりしたところにこの本のタイトルが目に飛び込んできたこと、もうひとつの理由はアイドル千葉麗子をちょいと気に入っていた時期(若かりし頃です)があり、心の敷居が低かったからですね。結果としてSEALDsの本とバランスをとることになりました。

内容は暴露話かつシンプル
 本書では、千葉麗子氏が反原発の志から左翼的運動(本書中ではパヨクと表現されています)に参加し、後に決別するまでのいきさつと、現在取り組んでいる愛国運動について赤裸々に語られています。文章そのものはですます調の口語的な文体で、本の厚さのわりには文章の量も少ないのであっという間に読み終わります。
 全体的に暴露話が多いですが、著名人を除いてイニシャルで表現され、また個人攻撃的表現も最小限に抑えられているように感じられました。また表紙のイラストは、はすみとしこ氏の手による千葉麗子氏がピンクの旭日旗をあしらったワンピースを着て日章旗を手にしているというものですが、品のないアジテーション的なイラストだなという印象を受けました(元海上自衛官として、あまりつまらない事に旭日旗を使ってほしくないな、という思いがあります)

ボーンアゲインクリスチャン的な?
 読んでいて少し気になった点ですが、千葉麗子氏は当初純粋な思いから反原発運動に参加し、その運動が次第に変貌していき戸惑いをおぼえ、様々な事に気付き、ついには決別するのですが、本書後半で後に身を投じている愛国運動と本書の最後に皇国再生のためのお願いと称して語られている内容について、パヨクと称した本書前半の内容とのギャップが激しいところです。読んでいて極端から極端に走る、まるでボーンアゲインクリスチャンの告白みたいだな、と感じたわけです。本人は洗脳から目覚めた的なことを語られていますが、その割には愛国運動にのめり込んでいるだけにも感じられます。後ほど詳しく述べますが、皇国再生のためのお願いというくだりについては、単なる受け売りではないかなと感じました。もっとご自身の考察も交えていただきたかったと思います。
 また、愛国という言葉そのものにもちょっと違和感を感じています。というのも、私自身は愛国心教育というものにあまり感心していないというか、愛国心という言葉はことさらに口に出して教え込むものではなく、隣人愛や郷土愛などの自然な発展として醸成するものだと考えているからです。
 自己愛だけでなく、身近な人も大切に思えば、それらをとりまく郷土・地域を大切に感じ、郷土のためにひいては国を守り良くしたいと考える。この順序が逆になってしまうと、つまらない国粋主義に陥ってしまうと思うのです。
 千葉麗子氏のことは、結構知的な女性だと思っていたのですが、案外そうでもないところもあるんだなと、妙に感心してしまいました。

もっと深く考えてほしい
 我が国は基本的人権のひとつとして表現の自由が保証されていますから、皇国を再生したいとか、外務官僚や裁判官や教職員は自衛隊を1年間経験した者だけにしろとか、その自衛隊には精神教育が必要だとか、いろいろ主張されることは結構ですが、もう少し深く学び考えていただきたいと思います。
 まず皇国という考え方についてですが、私自身は今上天皇と皇祖皇宗、そしてそれら天皇をいただく日本という国を誇りに思っています。しかし、皇国という国体をはたして陛下はお望みになっているのでしょうか?
 もし陛下が不要だと思われているのであれば、それについていたずらに騒ぎ立てないことも臣下の者としてのありようだと思います。
 それから、外務官僚などを自衛隊経験者でなんて発想は、ちょっと古くさいしムダが多いのではないでしょうか。1ヶ月くらい自衛隊で研修してちょっと体験してこいというくらいならまだ理解できますが、自衛官として1年程度勤務したくらいで軍事力のなんたるかを知るということは難しいのではないでしょうか。なぜなら、その1年間で経験することの大半は一自衛官、つまり兵士としての経験であり、それはそれでムダではありませんが専門性としての軍事理解につながるのかどうかは何とも言えません。また、その兵士としての経験そのものが大切だという考え方なら、反対に1年程度ではたかが知れていると言わざるを得ません。私自身も任務の中で(ちょっとオーバーですが)死を覚悟したことが二度ほどありましたが、いずれも入隊後1年以内の経験ではありません。
 自衛隊には精神教育が必要との主張については、それはどんな精神についてなのでしょうか、と問いたいと思います。もし、戦前の戦陣訓や大和魂のようなものであれば、そんなのはよそでやってもらいたいと思います。
 自分の経験から申しますと自衛官に必要な精神とは、リアリティや合理的精神に基づいた強靱な精神です。気合いや根性といったものはもちろん大切です。しかし、私たちが使っていた個人用小火器である小銃は直径7.62mmの弾丸を音速の2倍の速度で発射し200ヤード先にある厚さ15cmくらいの木材を紙のようにパツッ、パツッと抜いていきました。戦車の砲弾などは音速の5倍で飛翔し、装甲に斜めに当たっても弾くのではなく液体にめり込むように侵轍したりします。護衛艦の主砲の命中精度も極めて高く、揺れる海の上でも標的に当てるだけではなく標的のどこに当てるのかということまで選べます。テポドンの迎撃にそなえて展開されるイージス艦のSM-3というミサイルにいたっては、上空200km以上を音速の10倍近い速度で飛翔している数メートル程度のサイズの再突入体に直撃できる性能を持っています。
 こんな非人間的なほど強力な武器を用いる戦場において、気合いや根性、大和魂とやらで防げる攻撃はありません。強い精神力は、不可能を可能にするためにあるのではなく、もはや人間がついて行けないような戦場や任務にあっても冷静さを失わず、任務の達成と生存の可能性を最大限にするために必要なのです。軍事とはリアリティや合理性が絶対必要である、冷徹な科学でもあるのです。

靖国神社だけではない
 本書の後半に何度か靖国神社の参拝について語られています。我が国のために戦火の中に散っていった方々の御霊に哀悼の意を表すこと、このこと自体はとても尊いことと思います。が、この手の人々からあまり聞くことがないの場所が千鳥ヶ淵戦没者墓苑です。もしかしたら靖国神社と等しく千鳥ヶ淵戦没者墓苑にも参拝されているのかもしれませんが、その割にはあまり話を聞くことがありません。
 愛国心をお持ちと称する右側っぽい皆さんが本当に哀悼の心をお持ちならば、千鳥ヶ淵の方にも同じだけ足を運んで、戦没者の方々に思いをはせていただきたいと切に願います。


 最後に、今回読んだ「さよならパヨク」「SEALDs 民主主義ってこれだ!」の両方を通して感じたことは、議論を単純化させる昨今の世相です。今まで何度か述べていますが、単純化され分かり易くなった論点は、けっして問題そのものの理解ではないということです。分かり易くするということは問題のディティールを削ることであり、理解の入り口ではあっても理解そのものではないのです。私たちの社会に存在する問題はどれも複雑です。そして複雑な問題を理解しようとすれば、最終的には複雑なままそれを受け入れなければなりません。
 ある社会問題について、右だ左だと選択肢を二者択一にしてしまう行為は乱暴な処理であり、本当にその問題を理解し解決したいのであればあらゆる視点と矛盾を受け入れることが大切なのです。
posted by しらいし at 02:29| Comment(1) | TrackBack(0) | 政治・行政

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