2012年01月11日

成人の日に思うこと

 成人の日の9日、全国各地で成人式が行われました。今年の新成人は、約122万人で5年連続で過去最少を更新したそうです。
 この成人の日、毎年のように新成人の誓いやら暴走やらが報道されますが、私も現職議員の頃は来賓として出席し、毎年の新成人達の様子を見ていろいろと考えさせられることがありました。

 まず、新成人達の行儀の悪さや落ち着きのなさ。服装の乱れひとつとっても、ネクタイは緩み、スーツにスニーカーブーツといった装い。約1時間前後の式典ですらジッとしてられず、体は左右に揺れ、いたるところでヒソヒソ話と携帯の操作。さざ波音楽会ならぬさざ波成人式といった状況でした。
 しかし、それを批判する資格は大人の側にもないな、とも感じていました。なぜなら、来賓席の方がザワザワフラフラと騒々しかったからです。それこそ、どうしていい年して1時間程度の式典でジッと黙ってられないのだろうかと呆れたものです。なにも軍人のように静止して目線も動かすなと言っているわけではありません。姿勢を正して押し黙っているだけでよいのに、新成人達に対して見本になれず、そのくせ批判だけはさせてもらおうとは虫が良すぎます。年長者の威厳とは何か、ということをよく考えてもらいたいといつも思っていました。

 つぎに、これは成人式の問題ではありませんが、新成人達に降りかかる問題である年金についての世代間格差問題です。
 この問題そのものは、非常に複雑かつスケールの大きな問題でもあるので、いずれ詳細に論じたいと思いますが、新成人達へのエールとして1点だけ述べます。
 年金の負担額と受給額のバランスが世代間によって大きく異なり、若い世代ほど損をする、というのが現状であり、この点だけを取り上げればゆゆしき問題ですが、世代間格差とは何も年金だけではありません。
 教育にかかるコストもまた大変な世代間格差があり、例えば今年の新成人1人に投じられた教育のためのコストは、おそらく現在の年金受給者達のそれを大幅に上回っているはずです。詳しく試算していないので大雑把な話になりますが、ご老人方が子供の頃にかかった1クラス分の教育コストを、現在では1人に投入しているような状況ではないでしょうか。それだけのコストを投入されて教育を受けたからには、それに見合うだけの能力を発揮できなければ、費用対効果は低いということになります。
 新成人の方々の前途には既に幾多の困難な社会問題が横たわっています。しかし、自分たちは史上最高の高価な教育を受けた世代であるとして、自らの幸福追求のためにその能力を発揮してもらいたいと切に願います。
posted by しらいし at 02:15| Comment(0) | いろいろ
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