さて、こういったイベントはたいてい趣旨として「振興」とか「活性化」といった文言が並んでいます。もちろんたずさわる人達は皆さん、そのつもりで頑張っているんですが、なかなか思い通りの成果は上がりません。それだけ難しいものだということなのでしょう。
道南にとって観光振興といったら、やはり北海道新幹線の開業が一番のイベントになることでしょう。しかし、以前にも書いたとおり今の取り組み方には大変疑問を持っています。では、どうしたらよいのか。私の考えるポイントは次の3つです。
1.既存の観光資源を見直す
2.地元の歴史をしっかり理解する
3.他にないモノを見いだす
一見、どれも当たり前の事のように見えますが、当たり前が出来ないのが世の常です。以下それぞれに詳しく述べていきます。
1.既存の観光資源を見直す
具体的には、函館・大沼・松前・江差などの広く名の通った観光地を指しています。特に函館の知名度は突出していますが、観光を産業とする都市としてしっかり機能しているでしょうか。
例えば、西部地区の金森赤レンガ倉庫群。海沿いに赤レンガと石畳の街並みは、明治の香りと異国情緒が織りなす独特な風情があり、散策するには持ってこいです。しかし実際の現場はとても残念なもので、石畳の上には路上駐車の車両と、それを妨げようとする無粋なカラーコーンが置かれ、生活道路として地元の車が盛んに走っています。観光客は、車の間を縫って注意しながら歩いているように見えます。いったいあの街並みは誰のために整備したのでしょうか。観光客に楽しんでもらうなら、車両の乗り入れを禁止するくらい当たり前です。
他の観光地に比べて、函館は観光資源に恵まれすぎているせいか、あまり努力や工夫が見られないように感じます。何年か前に当時の函館市長が「ホスピタリティー」をテーマに掲げていろいろとお話しされていた事がありましたが、どうしたら観光客の方々が楽しく心地よく過ごせるのか、もっと真剣に考え、その視点で既存の観光資源を運用面も含めて整備していくべきでしょう。地元優先の姿勢ではホスピタリティーなんて単なるブラックジョークです。
また、観光地同士の連携はどうでしょう。以前、大沼観光協会の方とお話ししたときに、函館の観光コンベンション協会に何か提案してもきちんと話が伝わらない、と嘆いておられました。互いに意思疎通がうまくいかない、しかしそれぞれの観光地が、単独で何かを企画してもおのずと限界があります。そして、本州の、特に首都圏の人々は函館・大沼・松前・江差あたりは日帰りコースでパッパとまわれる、ひとまとめで楽しめるという感覚を持っている方が多いと感じます。車で1、2時間走ったら県境を越えてしまうような土地に住む人々に、北海道の距離感は想像できません。ですから、それぞれの観光地を有機的につなぐ戦略とアクセスの重要性があるのです。バスや列車に乗って移動している時間は、たとえ長くても旅情感があるかもしれませんが、乗り換えの不便さや案内のまずさによる待ち時間は不快にしか感じないでしょう。そのためにも、広域で考える観光というものが大切になってくるのです。
2.地元の歴史をしっかり理解する
これは、この地域の人々に強く訴えたいところです。また函館を例にしますが、「歴史ある街・函館」といった感じのPRをよく目にします。でもよく考えると、函館ってそんなに長い歴史があるでしょうか。函館にまつわる古い文献をたどっても遡れるのはせいぜい450年ほど。この程度で北海道以外の人々に歴史ある街と訴えても理解されません。本州や九州などは1000年以上の歴史を持つ街や地域などざらにあります。だいたい、道南でも一番古い地域は松前や上ノ国で1300年くらいの歴史があります。
このように函館は比較的歴史の浅い街なのですが、そのかわり他の街にはない波瀾万丈の歴史があります。ここでその盛りだくさんの歴史について語りたいところですが、もの凄く長くなりますので残念ながらまたの機会にしたいと思います。ただ、その波瀾万丈の歴史の証拠として、異国情緒あふれる街並みがあるのです。おそらく、長い歴史があるという錯覚は、明治になって開拓された北海道の中で比べたら、という視点からくるものだと思いますが、その認識のまま全国へ発信しても理解されないのではないでしょうか。「それほど長くはないが、他に類を見ない歴史を持つ街」これが函館の姿だと思います。
また、函館の歴史理解についてとても残念に感じている点のひとつが、開港した年の解釈です。たしか今年は、開港153周年とうたっているはずですが、これは安政五カ国条約によって商業港として開港した1858年から数えているからでしょう。しかし実際には、その4年前の日米和親条約によって補給・休養のための港として下田とともに開いているのです。なぜこのような歴史的事実を無視して開港153年とうたうのか、いろいろと理由があるらしいですが、私は下田とつるむより、開港五都市として横浜や神戸、長崎、新潟といった大都市と一緒にやっていったほうが得策だという打算がどこかにあるのだと考えています。もし、そうであるならば実に浅ましい考え方だと思います。
だいたい、開港五都市のうち、函館以外の都市はみな県庁所在地で長崎以外は政令指定都市です。その巨大な都市群の企画や行動に函館は互していけるのか、ついて行けるのか、大変疑問に感じます。
しかし、規模において劣る函館が持つ大きなアドバンテージが、横浜や神戸より先に開港している、という歴史的事実です。そしてアメリカ合衆国は、日米和親条約こそ日米の交流の始まりと考えています。その証拠に、下田の150周年には総領事館から日米和親条約のレプリカが寄贈されています。
今からでも遅くはありません。下田とともに2014年は「開港160周年」と堂々とうたいましょう。そして、アメリカにもセレモニーに登場願うのです。他の政令指定都市を尻目に、函館と下田が日米の160年に及ぶ波乱の歴史と友情を演出する。これくらいの発信をしてこその観光都市はこだてなのではないでしょうか。
3.他にないモノを見いだす
観光資源開発というと、すぐにリゾート開発や記念館などを作ったりしますが、一夜漬けで作った観光資源では人は集まりません。そもそも、お金と時間をかけてやってくる観光客の方々に失礼です。
人はそれぞれの日常にないものを求めて旅してくるのです。それこそロマンや冒険、癒やしなどを求めてくるのです。そんなものを短期間で作れるわけがありません。では、どうしたらよいのでしょうか。
答えは、私たちの身近に眠っています。
例をひとつ挙げると、道南には円空の仏像がいくつもあります。円空仏を訪ねて、半ば自分探しの旅をする人は意外に多いものですが、観光全体からみればマニア向けでニッチな市場と捉えられます。ですが、マニアはお金と時間をそれほど惜しみません。そして、マニアはちょっとしたヒントから探し出してやってきます。つまりPRにコストがかからないということです。
しかし、マニア向けのニッチな観光資源では集客効果が望めない、と普通は考えます。まさにその通りですが、前述したとおりマニア向けのPRコストはとても小さい。だから、そんな小さな観光資源をたくさん揃えれば良いのです。たくさん揃えても元々コストはゼロに近いのですから、合計してもそれほどの額にはならないでしょう。
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見つけ出す手間も実はそれほどではありません。ほとんどの自治体には、いわゆる郷土史家と呼ばれる人がいるものです。その方々はまさに地域の歴史遺産についての「歩く辞典」です。そういった方々の蓄えられた知識を借りればよいのです。ちゃんと敬意を払ってお願いすれば協力は惜しまないと思います。
観光とは非日常の体験です。新しい景色、小さな冒険や探求、普段と違う癒やし、家族や気の置けない仲間と共有するいつもと違った時間と空間、または見知らぬ土地で見つける自分自身。そんなそれぞれの旅に、おもてなしの情を添えて差し上げる。そういう地域になるよう知恵を出し合って努力すれば必ず報われることでしょう。