2013年08月03日

安易な嫌韓・反韓は我が国のためにならない

 先日も書きましたが、隣の国・韓国の反日がヒートアップし続けています。我が国の内閣府が行った竹島に関する世論調査にも噛みついてきましたが、ここまで来ると内政干渉も甚だしいと言わざるを得ません。


 しかし、考えてみればずいぶん以前から歴史の教科書の内容や政治家による靖国神社の参拝などにも毎回口を挟んできていますので、彼らにとってはもはや我が国の内政は自らの内政の問題でもあるのでしょう。
 妙な例えになりますが、自転車は本来車道を走るものなのに歩道を走っている現実を警察は長年黙認してきました。今ごろになって違反だと言っても簡単には取り締まれません。法と現実がすっかり食い違ってしまえば、それを修正し法に従わせるのも大変な努力を必要とします。韓国も似たようなもので、我が国は主権国家である、という理解がそもそも出来ていないようなのでここから始める必要があるでしょう。

 しかし、韓国とその国民が持つ「日本」についての理解は、一義的には彼らの内面の問題です。彼ら韓国人達が世界と自らの周辺、そして我が国をどのように認識するかは彼ら自身の問題であり、その認識を元に行動を選択することによりもたらされる結果はまず彼ら自身が引き受けなければなりません。
 もう少し詳しく述べますと、先日の記事でも示しましたが、おそらく韓国には国内に大きな人権や経済などの不安材料があり、放置しておくと国民感情が乱れ社会の秩序が保てなくなるものと考えられます。そこで外部に敵または被差別民を設定するという古典的な手法を用いているのですが、いつまでも我が国をそのような対象とし続けることは無理があります。

朝鮮半島の歴史・冊封と小中華
 朝鮮半島の歴史をひもとくと、おおむね中国の冊封の下に置かれ、たまに独立しても程なく制圧されて属国として封じられ朝貢をするという被支配の歴史です。
 歴史上、帝国の版図に入った民族を安定的に支配するための方法は2つあり、ひとつは同化政策、もう一つは階級を設定することによる被差別民の設置です。
 ローマ帝国は同化政策を進めて被支配民族をいくつかの手順を踏んでローマ市民と扱うようになりました。その結果、ローマ市民とはローマ人のことではなく帝国における社会的地位となり、ローマ帝国はまさに拡散することになりました。
 中国は、中華という思想を用いて、まるでタマネギの断面のように中心から外に向かって段階的な階級世界を作り支配しました。朝鮮半島と日本列島は東の夷狄(いてき)、東夷と呼ばれ野蛮と見なされていましたが、朝鮮半島には小中華という概念もあり自らを中華世界の一部、タマネギの一番外側の皮と考えていたようです。この視点では我が国は卑しい者どもということになり、見下すことにより支配されるストレスの中にあって溜飲を下げることが出来ます。
 ところが、事の善悪はさておき19世紀から20世紀にかけて、中華世界の中心たる清国は西洋列強によって散々に簒奪され、東の卑しい島国「日本」にもやられる始末。中華思想は大いに揺らいだことでしょうが、おまけに日韓併合によって冊封体制からも脱することになれば、二千年以上当然の状況だった小中華の世界観は粉々になってしまったことでしょう。
 卑しいと見下していた東の島国に支配される屈辱に加え、近代国家や民族自決といった思想や理論を携えた指導者を持たないまま、大戦の終結により主権国家に成らざるを得なかった韓国が、とにかく自国内を安定させるために軍事独裁と強烈なナショナリズム、そして新たな夷狄としての日本を必要としたことは想像に難くありません。

 こうして21世紀に至り経済発展を遂げた韓国は、一見して国家経営が成功したように見えますが、国民の世界観・国家観に大きなゆがみを内包することになったようです。そのゆがみを我が国に向けていられるうちは何とかなるでしょうが、バランスオブパワーの変化によってそれが出来なくなった時にどうするのか。

北朝鮮の崩壊
 おそらく、じきにやってくる北朝鮮の崩壊がその引き金となるでしょう。北朝鮮が国家の体を成さなくなり、韓国として何らかの保護・管理下に置く、さらには統一朝鮮国家とまでなってしまうと、まず我が国に対する補償の要求を行うことになるでしょう。
 我が国は韓国に対しては補償を行いましたが、北朝鮮に対してのそれは未解決です(韓国が補償の問題を蒸し返していることとは別問題です)。しかし、北朝鮮の分を支払って解決してしまうと、いよいよ我が国の立場が、補償は解決済み、という点ではっきりしてしまいます。そして、以後我が国にとって朝鮮に対する補償の問題は、一顧だにできない、問題ですらないという強硬な姿勢になる可能性が高いものと考えます。
 まるで怯まない、譲歩しない、さらには干渉を退けようとする「日本」が出現してしまうと、統一朝鮮国家としては譲歩するか対立するかを判断することになります。冷静に考えれば国際関係とはバランスオブパワー、譲歩と力の行使の組み合わせなのですから、相手国に対する戦略的譲歩は敗北でも何でもないのですが、ここまで熱くなってしまった反日感情の元で、果たして我が国に対する譲歩を賢明な国策として受け入れることが出来るのでしょうか。

 外部の敵や被差別民を設定するという安定化政策は、一時しのぎにはいいかもしれませんが、ほどほどにしておかないと後にそれを修正できなくなってしまう危険性があるということなのです。そして、国内に溜まった歪んだエネルギーがそれをぶつける相手を失ったとき、一体どこに向かうのでしょうか。
 朴大統領は「加害者と被害者という歴史的な立場は千年の歴史が流れても変わらない」とまで言い切りました。千年たっても変わらないことに対してできる謝罪や補償はありません。つまり、いくら謝罪や補償しても効果がない、と明言したようなものです。
 いつまでたっても我が国をまともに扱う気がないという姿勢を見せる韓国に対して、もはや打つ手がないとなればこちらも対立せざるを得なくなります。日韓がまるで協調できなくなったとき、両国と同盟しているアメリカの極東に対する影響力は低下せざるを得ません。アメリカという後ろ盾を半ば失うことになる韓国の未来に待ち受けているのは、冊封体制の再来でしょう。
 このように、朴大統領の発言は韓国の将来に暗い影を落としていますが、それを国民が認識できず歓迎するようでは、やはり韓国は茨の道を歩むことになることでしょう。

 一衣帯水の我が国にとっても朝鮮半島の情勢が混乱することは好ましくありませんが、避けられない道であればそれに備えることも重要です。国の生存を確保するためには強靱なだけでなく、しなやかな国家を建設しなければなりません。
 しなやかさを作り出すための最も大切な要素は知性です。一時の感情に流されて韓国や在日朝鮮人達に対する安易な暴言や排斥運動などは、我が国のしなやかさを損なう行為であり、本当に我が国「日本」を愛するのであれば、厳に慎むべき卑しい行為なのです。
posted by しらいし at 14:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治・行政
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