※記事が長くなりましたので分割しました。前半の記事はこちら
●軍事
中期的には現状の維持と改善、つまり日米安保体制を軸にして事に当たるのがよいでしょう。
集団的自衛権については大いに議論すべきですが、集団的自衛権の行使イコール世界中で米軍と一緒に戦うことになる、というような単純きわまりない発想は早急に治療した方がよいと思います。どこの国であっても自国の軍隊は自国の国益のために存在するのです。アメリカは自国の都合のために自衛隊を引っ張り出そうとするかもしれませんが、それに100%応じるようでは主権国家とは言えませんし、アメリカもまたそれは理解するでしょう。
長期的には、同盟国アメリカの凋落を視野に入れる必要があります。超大国であるアメリカの同盟国はいくつもありますが、その中にあって我が国は破格の扱いを受けています(よく日米地位協定や沖縄の基地問題などの話題で我が国が虐げられているような話になりますが、駐留米兵の個人レベルの犯罪について大統領を筆頭にいちいち遺憾の意や謝罪を述べたりする同盟国は日本だけです)。これが戦後68年我が国が平和でいられた大きな要素ですが、アメリカが超大国でなくなった場合、相対的に我が国のトータルとしての軍事プレゼンスは低下し、外交上不利となる力の空白が生じます。力の空白はだいたい厄介な状況を引き起こしますので、その空白を埋める努力が必要になります。その努力が我が国の軍事力増強であるのか、それ以外の方法となるのか、それはその時の状況によりますが、複数の選択肢を持てるよう今から研究を重ねておくべきです。
短期的な視点としては、最近気になるいくつかのポイントを以下に述べます。
核保有についてですが、議論をすること自体はそれなりに有益だと思います。が、結論から言うと核保有国になることは利益より害の方が大きいと考えます。なぜなら、我が国は中国やロシアなどと比べると国土が小さく人口の都市への集中度も高いため、核の応酬となった場合、簡単に撃ち負けてしまうからです。核兵器について我が国が取り組むとしたら、核の保有ではなく核ミサイルの迎撃技術を高めることの方が有益です。
以前、核廃絶運動をしている人に、どうしたら核兵器の廃絶は可能だろうかと問われました。その人はどのような運動をしたら、という意味で尋ねたのでしょうが、私の答えは「核を上回る超兵器を開発する」でした(もちろん相手は憤慨していました)。どういう意味かというと、兵器の歴史を見るといかなる強力な兵器であっても、いずれそれを上回る兵器が開発・配備され、陳腐化して退役してしまう運命にあります。核兵器も同じことで、核を上回る兵器が出てくれば廃絶運動などしなくても勝手に装備から外されて無くなってしまうことでしょう。では、核を上回る超兵器とは何かですが、これ以上の破壊力はどこの軍も求めていません。今の核兵器ですら持てあまし気味で使うに使えない兵器なのですから、もはや外交上の脅しの道具にすぎません。
しかし、その脅しすら効かなくなったらどうでしょうか。中国にしても北朝鮮にしても我が国に向けている核ミサイルを十分な精度で迎撃されてしまうとしたら、それはもはや脅しにも圧力にもならず、仮に撃ったとしても彼の国の威信やプライドと共に上空で粉々に破壊されるだけになるでしょう。核ミサイルの迎撃技術は、核兵器そのものを陳腐化する可能性が高いのです。
ここまで述べれば、なぜアメリカがミサイル防衛(MD)技術の開発に執心なのかお分かりですね。攻撃と防御、矛と盾を独占することは絶対的な優位を約束するからです。
空母の保有についてもよく議論されますが、これも私は反対です。どうも世間の方々は空母を強力で万能な兵器だと勘違いされている向きが多いようですが、マンガやアニメの見過ぎだと言わざるを得ません。
空母は、どちらかというと攻撃一辺倒の兵器プラットフォームで単艦では自身を守りきれません。そのため空母を中心とした機動部隊や打撃群と呼ばれる複数の艦艇からなる艦隊を編成して運用します。そして、空母に限らず戦闘艦艇は同クラスの艦を4隻持たなければ戦力化できません。ですから我が国が空母をまともな戦力として扱うためには、空母4隻とそれを護衛するためのイージス艦などが12〜16隻、場合によっては随伴する補給艦4隻が最低限必要になるでしょう。人員だけで見ても現在の海上自衛隊の1/3程度が4個の空母機動部隊にとられてしまいます。そして、それだけの資源を投入して何の任務を与えるのでしょう。空母機動部隊はどちらかというと外征向け、他国への侵攻作戦に向いた性格を持つものなのです。
今どき、大日本帝国を再建して世界征服でもしたいというのなら話は別ですが、国土防衛に専念するだけなら、空母はムダの多い買い物となるでしょう。
徴兵制について、これほどバカバカしい議論はありません。自称有識者の面々から徴兵制の是非が議題として挙げられる、これ自体がいかに軍事問題についての彼らの知識や理解が欠如しているかの現れと言えます。
近代戦を戦う軍隊にとって徴兵制は百害あって一利なしです。国を守る精神をうんぬんする方もおられますが、太平洋戦争末期の頃から何一つ進歩されていないようです。軍や兵士にとって攻撃精神はとても大切なものですが、精神のみでは犬死にするだけです。現実の兵器の破壊力は、そんな不撓不屈の攻撃精神など簡単にすり潰すことが出来るのです。湾岸戦争では1000mを超える距離から狙撃されて体が真っ二つになったイラク軍将校がいました。どんな精神力がそれを防げるというのでしょうか。
無人機すら飛び交うような現代の戦場で身を守りながら戦うためには、強靱な肉体と精神のみならず正確で新しい知識や経験、装備に対する高い練度が必要です。そのためには長く高度な訓練を施さなければなりません。徴兵制で多数の自衛官を揃えても、しっかりした訓練をしなくては弾よけ以下の存在となるでしょう。
我が国の防衛力はどれくらいが適切なのか、これは難しい問題ですが他国を侵略したいという願望がない以上、他国からの攻撃を防げれるほどの戦力であれば良いことになります。敵対的な国はどれか、ということを随時見極めながらそれらの国々が我が国に対しての攻撃を躊躇する程度の戦力を維持し続けること。このバランス感覚が大切になるでしょう。
2013年08月16日
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