今朝、北斗市で高坂農園を経営されている、高坂重勝氏のFacebookの記事を読みました。実に興味深い問題提起だったのでコメントを書こうかと思ったのですが、あまりに長くなったのでブログに書くことにしました。
リンク:高坂氏の記事『日本の食料自給率について』
(Facebookのアカウントが必要です)
高坂氏のその記事は、「かなり長文です m(_ _)m 食料自給率の件についてちょっと皆様の意見をお聞かせ願いたいです」という書き出しから始まる、食糧自給率(カロリーベース)の解説と生産者としての考え方、需給のミスマッチなどについて書かれています。Facebookのアカウントをお持ちの方は是非ご一読いただきたいと思います。
高坂氏の記事の冒頭に『日本の食料自給率について』と題して、カロリーベース総合食料自給率についての説明がありました。詳しくは氏の記事をお読みいただくとして、私は食糧自給率について私見を述べたいと思います。
■有事とは何か
食糧自給率について議論を展開する際に、この概念は基本的に国家安全保障の分野になりますから、「有事とは何か」という前提が必要になります。
一般に有事と言えば軍事上の紛争や衝突、戦争などを指しますが、これは狭義の有事であって、広義には「その時点の国家にとっての弱点を突かれること」です。何の原因も状況もなく軍事力を行使することはありえず、その前段階として様々な利害の衝突やミスマッチがあります。そしてその状況を解消しようとする国家によって自国の弱点を認識され利用されることにより危機が生じ、そこから脱しようとして対立がエスカレートし、時に軍事力の行使を選択するのです。
■我が国の弱点とは
我が国の弱点は、食料やエネルギーを含む様々な資源の自給率の低さです。しかし150年ほど前までは、ほぼ自給自足の経済でした。つまりそこまで国の姿を戻せば、自給率の話は心配ナシとなります。
この場合、生活スタイルだけでなく国全体の話になりますから、道路も舗装はナシ、ネットどころか電話もナシ、自動車も鉄道も飛行機もナシ、自衛隊も警察もナシですからそもそも国防自体できません。
もちろんこれでは馬鹿げた想定になりますから、自給率に経済の方を合わせるという話は、危機感を煽るときのたとえ話ということになります。
食料は地下資源と違ってどこでも生産できるという屁理屈もありますが、高坂さんの話でもバナナの部分で出てきたとおり、現実に必要な量を生産できないものはたくさんあります。
■ほとんどの国は輸入に頼っている
そもそも、多様な生活スタイルを実現したければ、ほとんどの国で何らかの資源が不足していて、輸入に頼らざるを得ません。
安定的に資源を輸入するためには、その買い物の支払いを継続できる経済力と、国際社会の安定と平和の維持が必要です。
輸入の支払いにあてる経済力とは、結局のところそれに見合った何らかの形の輸出であり、その品目は資源でも製品でも資本でも、場合によっては人材でもかまいません。
国際社会の平和と安定の維持については、日頃から経済力・外交力・軍事力などのパワーバランスをとる努力が必要です。
このパワーバランスの大きな要素の一つが自給率という概念なのです。
■パワーバランスの要素としての自給率
自給率があまりに低ければ、それは他国に弱点と見なされ、そこを締め上げれば屈服すると認識されます。しかし締め上げたところで、その国と国民が我慢すればすむ程度の低さであれば、弱点とは言えません。
また、シンガポールのようにほぼ自給は不可能な国家もありますが、その分、国際社会にとってなくてはならない価値があれば、それでも安全は確保されます。
つまり、自給率が100%を超えなければ問題だというわけではなく、どの程度国内で確保していれば良いのかは、その国の置かれた状況によって違うわけです。また、自給率100%以上の国は資源輸出国になると考えられますが、その資源が世界の市場で供給過剰になったりすると、国内経済にも悪影響が出るので輸出国の立場が強いと単純には言えません。
したがって、市場をコントロールできる国こそ立場が強いということになります。市場をコントロールするためには、強くて柔軟な外交力や軍事力、経済力が必要です。資本や基軸通貨を制御できる仕組みも必要です。
自給率という数字は、危機に対する強さを表すものと言えます。それが全てではないし、しかし軽視して良いものでもありません。
■食糧自給率と安全保障
安全保障と自給率の関係を述べましたが、特に食料自給率に関して注目すべきはヨーロッパで以前から導入されている直接支払い制度などの農業保護・育成政策です。食糧自給と安全保障は強い関連のある概念ですから、採算性のみでこの問題に取り組むことはありえません。
ところが我が国においては、そこを民間の経済活動に大きく頼るというところに問題があります。軍事力によって国防を担う自衛官は公務員で給料が支払われるのに、食料生産を担う農家等の生産者は、そこは採算ベースで自分の稼ぎでという話はいささか無理があると思います。もちろん農家を公務員に、という話ではありませんし、農家だけが国の重要な産業という話ではありませんが、我が国にとって重要な要素だと考えるならば、それ相応の待遇が必要だと思うのです。
■金を積めば良いという話ではない
世界全体の食料生産力は、近年まで世界人口を上回っていました。これは、需給のミスマッチを解消できれば飢餓を解消できるということであり、我が国においては金さえ出せば食料を輸入できるという意味になります。
しかし徐々に供給力に人口が追いついてきており、いずれは拮抗し逆転する状況が想定されます。世界の食糧生産力が恒常的に世界人口を下回る状況とは何かと考えると、それは金を積んでも食料を売ってもらえないということです。
この危機を回避するためには何をすれば良いのか。
それは、国内においては生産者と消費者の関係を適切にすること。つまり、適切な価格とは何か、満足すべき量と質はどの程度か、生産者が生産の維持拡大をするために必要な状況を作るにはどうしたらよいのか、そして消費者においては「足るを知る」ことも重要です。
国際社会においてもこれは同じ事で、供給国との関係を良好に保つこと、相手国の求める何かを提供し、我が国の求める資源を供給してもらうこと。そして、その関係を維持していくことです。
いずれにおいても、適切で良好な取引関係を構築することが肝要なのです。
昔、ある経済学の本を読んでいたときに「商取引とは価値の交換だけでなく良心の交換も伴う」とありました。けだし名言であると感じました。
私たちを日々生かしている食とは何か、それを作っているのは誰か、どのような仕組みで私たちの食卓まで届くのか。
私たちはもっとこの問題を深く理解する必要があると思います。
2015年04月03日
2013年12月18日
駅名で揉めてる場合じゃない ―新幹線時代の北斗市を考える―
開業が2年と3ヶ月ほどに迫った北海道新幹線について、今に至るまで新駅の名称が問題になっています。北斗市市渡のJR渡島大野駅が現存する場所に新たに建設している新駅の名称が「新函館」なのか「北斗函館」で新駅所在地の北斗市と隣接する函館市の間で揉め続けているのです。
感情論も絡んで、すっかり対立関係になってしまった両市の主張は今のところ平行線のままです。未だにこんな事で揉めているようでは、新幹線の利活用による道南経済の振興など絵に描いた餅になりそうですが、いったいどうしたらよいのでしょうか。
最初の計画はもっと別な場所だった
函館市の政財界には、未だにJR函館駅(以下、現函館駅と称します)への新幹線乗り入れを主張している人々がいます。主張することは自由ですが、それがどれほど現実味のある話なのかをよく考えなければなりません。
はっきり申しまして、現函館駅への新幹線乗り入れは元から可能性のない話です。1973年に整備新幹線計画の1線として始まった北海道新幹線ですが、「新函館駅(仮称)」のもともと計画されていた場所は函館どころか旧大野町(現在の北斗市)ですらなく、なんと大沼の付近でした。
新幹線はスピード重視の路線なので、在来線と異なりできるだけ直線に近いルートを選択します。そのため山があれば迂回せずにトンネルを掘ってルートを確保します。木古内から札幌方向へ直線状のルートをとると、函館・大野平野ではなく大沼・森町の方向になってしまうのです。しかし、道南の中心都市は函館市であり新駅が大沼付近となってはあまりに遠すぎるため、最大限に函館側に寄せたルートが現在建設中のルートなのです。
現在のルートは大野平野で大きなカーブをたどりながら市渡の新駅に乗り入れする形になっていますが、新幹線は半径約3,000m以下が曲がれないため、大きなカーブに見える現在のルートは新幹線にとっては急カーブなのです。
スイッチバックは不可能
では、現函館駅に真っ直ぐ入り進行方向を逆にしてから札幌に向かえばよい(スイッチバックといいます)という意見を述べる方もいらっしゃいますが、これも可能性はありません。新幹線のスイッチバックは認められていないのです。
秋田新幹線はスイッチバックしているじゃないかという反論もあるかも知れませんが、秋田新幹線は新幹線ではありません。ミニ新幹線と呼ばれている秋田新幹線と山形新幹線は、在来線の軌道を標準軌(1,435mm)に改軌し高速化改良を加えた上で、新幹線路線と直通運転できるようにしたもので、法律上は在来線のままなのです。ですから、秋田新幹線のスイッチバックは参考になりません。
現函館駅は新幹線規格で整備したという話
2003年に供用開始した現函館駅は、新幹線規格で整備したという話になっています。しかし、当時合併前の大野町議会議員だった私は、新幹線関連の中央陳情で総務省の担当者からある話を聞きました。それは、私たち陳情団と担当者の次のようなやりとりでした。
と、このような話でした。国の視点では、函館市に最大限配慮して今の位置になったのであり、これ以上の譲歩はあり得ないという感覚なのです。
問題は、この話は秘密でも何でもなく私たち地方議員の質問にあっさり答えてもらえる程度の情報なのです。ですから、函館市の担当者であっても当然承知のことだったはずです。それなのに新幹線規格で駅舎を建てましたとはどういう話なのでしょうか。
函館市の政財界の方々と北海道新幹線について話をすると、情報やその理解についてのバラツキに驚くことがあります。国の方針では現函館駅への乗り入れは、ずいぶん前から可能性が無くなっていたという情報は、誰も入手できなかったのでしょうか。それともどこかで誰かに握りつぶされてしまったのでしょうか。
可能性がないのに多額の予算を投じて駅舎を建設したのなら、それはずいぶんと罪深い話です。
新駅の名称はもともと新函館駅だった
大野町(当時)の議会議員としては、新幹線の新駅が自分の町にできるということは実に喜ばしいことでした。しかし議会や委員会の場などでは、新駅の名称については一貫して「新函館駅(仮称)」と呼んでいました。もちろん「新大野駅」などという名称になればそれは誇らしい話ですが、いくらなんでも新幹線の駅名に大野はないだろうという認識でした。
状況が変わったのは上磯町(当時)との市町村合併を経て新たに北斗市となってからです。初代市長を選ぶ市長選挙の最中に後に当選して初代市長となる海老澤順三氏が「北斗駅」なる名称を主張し始めたのです。選挙が終わって市長室に挨拶に伺った際に真意を尋ねたところ、率直に「北斗駅という名称になる可能性はない」という話をされました。
海老澤前市長の作戦は、いったん北斗駅という主張をぶつけておいて、後に妥協して北斗と函館の両名併記に落ち着くというものだったようです。このような交渉戦術はまさに玄人の手並みであり、事実そのような状況に近づきつつあります。
問題は、このような高等戦術を理解しないで感情的になってしまう人々が、騒ぎを大きくする点にあります。そしてこういった人物は函館市側にもたくさんいます。
函館市は地域のリーディングシティなのか
2004年6月に北海道新幹線の着工が決定し、新駅と関連施設の建設について費用負担をどうするかという課題が生まれました。当時の大野町は函館市にも費用負担を求めましたが、にべもなく拒否されました。函館市側は、現函館駅に新幹線が乗り入れることもなく、新駅が市内に作られることはないことがはっきりしたため、北海道新幹線についての当事者となる意志がなくなった様子でした。その後、合併により誕生した北斗市が建設費用の負担分をそのまま引き継いだため、北斗市側には「カネも出さない函館市に意見する権利はない」という市民感情が少なからずあります。
道南を俯瞰すると、函館市は政治的、また経済的にも道南におけるリーディングシティと呼ぶべき存在です。ところが、当の函館市はそういった意識がいささか薄いと言わざるを得ません。新駅の費用負担の問題のみならず、並行在来線となるJR江差線の経営分離問題でもなかなか当事者になろうとはせず、江差線など知ったこっちゃないといった態度でした。現函館駅の1日の乗降客数は約8,000人ですが、この全てが五稜郭駅からの乗客と札幌東京間の乗り換え客というわけでもないでしょう。現函館駅で乗り降りする利用客の一部は北斗市や木古内町などからの乗客なのです。多額の予算を投じて駅舎を建て替えた点を考えると、ますます利用客を増やすために積極的に関与しなければならないはずです。
こういった点や、市内観光拠点や街並みの整備の不徹底を見ると、函館市の問題意識やリーダーシップは弱いと思わざるを得ないのです。
我が北斗市のとるべき道
北海道新幹線の開業を控えて、北斗市は様々な観光資源開発を計画しているようですが、私はいささか疑問に感じています。
批判を恐れずに申しますと、我が北斗市が新駅に関連してとるべき施策は大きく二つ、
です。
道南の観光振興については、以前の記事でお示ししていますのでそちらをご一読頂きたいと思います。
企業誘致については、高谷寿峰市長が精力的にトップセールスを行っていますが、より効果的な方法で行うべきです。
企業の視点から見ると、よその市長が誘致のために訪ねてきたところで、そう簡単に進出を検討したりはしません。企業が他の地域に進出をはかるとしたら、その判断基準は「その地域で儲かるか」という点に尽きます。想定されるリスクを上回る利益が予想されるなら、企業は利益を求めて進出を決断します。企業の利益を役所が約束するということはそう簡単にできることではありませんが、リスクを減じることはある程度できます。進出した企業に補助金を交付することもリスクの低減ですが、あらかじめ人脈を構築してやることもまたリスク低減につながります。つまり、市長や担当課の職員だけがトップセールスに歩くのではなく、市内の主立った企業や金融機関の要人も常に同行してもらうのです。
そうすれば、市長がトップセールスでこじ開けた扉を通して互いに行き来することができます。
私も現在、ある工場誘致の事案に関わっています(詳細はまだ明かせません)。相手の担当者は市議会議員としての私の存在に価値を見出していた様子で、落選したときはいろいろと苦言を頂戴しました。それでも数年内には何らかの結果が出そうです。我が北斗市の経済振興にわずかでも貢献できれば幸いです。
新幹線は一自治体の専有物じゃない
新幹線は一自治体のものじゃないと強く感じるようになったのは、2005年の着工式からです。
その時、着工式に出席を求められたのは町長や議会議長、商工会長などの方々で、その他の議会議員は対象外とされました。町の代表として列席できないことを憤慨していた議員も何名かいましたが、現場に行くとそんなの当たり前だと思えるような光景が目に入りました。
来賓として幾人もの国務大臣や国会議員などが集まり、それらをアテンドしていたのが高橋はるみ北海道知事だったのです。知事がスタッフとして来賓ひとりひとりに頭を下げてお迎えする姿は、新幹線は国家プロジェクトなのであってひとつの町や地域が勝手に振り回して良いものではないということをまざまざと物語っていました。
北海道新幹線は道南全てに恩恵をもたらすものでなくてはなりませんし、北斗市も函館市も海に浮かぶ孤島じゃないのですから、経済的には互いに深くつながりあっています。だから、北斗市だけが新駅を使ってひとりで儲けることはしてはなりませんし、そもそもできやしないのです。道南の持つ全ての力を集めて、全体で豊かになる道を探らなくてはならないのです。
感情論も絡んで、すっかり対立関係になってしまった両市の主張は今のところ平行線のままです。未だにこんな事で揉めているようでは、新幹線の利活用による道南経済の振興など絵に描いた餅になりそうですが、いったいどうしたらよいのでしょうか。
最初の計画はもっと別な場所だった
函館市の政財界には、未だにJR函館駅(以下、現函館駅と称します)への新幹線乗り入れを主張している人々がいます。主張することは自由ですが、それがどれほど現実味のある話なのかをよく考えなければなりません。

はっきり申しまして、現函館駅への新幹線乗り入れは元から可能性のない話です。1973年に整備新幹線計画の1線として始まった北海道新幹線ですが、「新函館駅(仮称)」のもともと計画されていた場所は函館どころか旧大野町(現在の北斗市)ですらなく、なんと大沼の付近でした。
新幹線はスピード重視の路線なので、在来線と異なりできるだけ直線に近いルートを選択します。そのため山があれば迂回せずにトンネルを掘ってルートを確保します。木古内から札幌方向へ直線状のルートをとると、函館・大野平野ではなく大沼・森町の方向になってしまうのです。しかし、道南の中心都市は函館市であり新駅が大沼付近となってはあまりに遠すぎるため、最大限に函館側に寄せたルートが現在建設中のルートなのです。
現在のルートは大野平野で大きなカーブをたどりながら市渡の新駅に乗り入れする形になっていますが、新幹線は半径約3,000m以下が曲がれないため、大きなカーブに見える現在のルートは新幹線にとっては急カーブなのです。
スイッチバックは不可能
では、現函館駅に真っ直ぐ入り進行方向を逆にしてから札幌に向かえばよい(スイッチバックといいます)という意見を述べる方もいらっしゃいますが、これも可能性はありません。新幹線のスイッチバックは認められていないのです。
秋田新幹線はスイッチバックしているじゃないかという反論もあるかも知れませんが、秋田新幹線は新幹線ではありません。ミニ新幹線と呼ばれている秋田新幹線と山形新幹線は、在来線の軌道を標準軌(1,435mm)に改軌し高速化改良を加えた上で、新幹線路線と直通運転できるようにしたもので、法律上は在来線のままなのです。ですから、秋田新幹線のスイッチバックは参考になりません。
現函館駅は新幹線規格で整備したという話
2003年に供用開始した現函館駅は、新幹線規格で整備したという話になっています。しかし、当時合併前の大野町議会議員だった私は、新幹線関連の中央陳情で総務省の担当者からある話を聞きました。それは、私たち陳情団と担当者の次のようなやりとりでした。
[我々] 今からでも現函館駅への新幹線乗り入れは不可能なのでしょうか。(私たち大野町の議員団としては、函館市との良好な関係も重要だという認識がありました)
【担当者】技術的に見てもあり得ません。
[我々] スイッチバックすれば可能なのではないですか?
【担当者】それもあり得ません。(理由は前述の通り)
[我々] では、何らかの方法でとにかく現函館駅に新幹線が乗り入れるとすると、どういう方法が考えられますか?
【担当者】北海道新幹線の整備はそこで終了です。札幌への延伸はなくなります。それで北海道や札幌市は納得しますか?
[我々] ・・・・・。
と、このような話でした。国の視点では、函館市に最大限配慮して今の位置になったのであり、これ以上の譲歩はあり得ないという感覚なのです。
問題は、この話は秘密でも何でもなく私たち地方議員の質問にあっさり答えてもらえる程度の情報なのです。ですから、函館市の担当者であっても当然承知のことだったはずです。それなのに新幹線規格で駅舎を建てましたとはどういう話なのでしょうか。
函館市の政財界の方々と北海道新幹線について話をすると、情報やその理解についてのバラツキに驚くことがあります。国の方針では現函館駅への乗り入れは、ずいぶん前から可能性が無くなっていたという情報は、誰も入手できなかったのでしょうか。それともどこかで誰かに握りつぶされてしまったのでしょうか。
可能性がないのに多額の予算を投じて駅舎を建設したのなら、それはずいぶんと罪深い話です。
新駅の名称はもともと新函館駅だった
大野町(当時)の議会議員としては、新幹線の新駅が自分の町にできるということは実に喜ばしいことでした。しかし議会や委員会の場などでは、新駅の名称については一貫して「新函館駅(仮称)」と呼んでいました。もちろん「新大野駅」などという名称になればそれは誇らしい話ですが、いくらなんでも新幹線の駅名に大野はないだろうという認識でした。
状況が変わったのは上磯町(当時)との市町村合併を経て新たに北斗市となってからです。初代市長を選ぶ市長選挙の最中に後に当選して初代市長となる海老澤順三氏が「北斗駅」なる名称を主張し始めたのです。選挙が終わって市長室に挨拶に伺った際に真意を尋ねたところ、率直に「北斗駅という名称になる可能性はない」という話をされました。
海老澤前市長の作戦は、いったん北斗駅という主張をぶつけておいて、後に妥協して北斗と函館の両名併記に落ち着くというものだったようです。このような交渉戦術はまさに玄人の手並みであり、事実そのような状況に近づきつつあります。
問題は、このような高等戦術を理解しないで感情的になってしまう人々が、騒ぎを大きくする点にあります。そしてこういった人物は函館市側にもたくさんいます。
函館市は地域のリーディングシティなのか
2004年6月に北海道新幹線の着工が決定し、新駅と関連施設の建設について費用負担をどうするかという課題が生まれました。当時の大野町は函館市にも費用負担を求めましたが、にべもなく拒否されました。函館市側は、現函館駅に新幹線が乗り入れることもなく、新駅が市内に作られることはないことがはっきりしたため、北海道新幹線についての当事者となる意志がなくなった様子でした。その後、合併により誕生した北斗市が建設費用の負担分をそのまま引き継いだため、北斗市側には「カネも出さない函館市に意見する権利はない」という市民感情が少なからずあります。
道南を俯瞰すると、函館市は政治的、また経済的にも道南におけるリーディングシティと呼ぶべき存在です。ところが、当の函館市はそういった意識がいささか薄いと言わざるを得ません。新駅の費用負担の問題のみならず、並行在来線となるJR江差線の経営分離問題でもなかなか当事者になろうとはせず、江差線など知ったこっちゃないといった態度でした。現函館駅の1日の乗降客数は約8,000人ですが、この全てが五稜郭駅からの乗客と札幌東京間の乗り換え客というわけでもないでしょう。現函館駅で乗り降りする利用客の一部は北斗市や木古内町などからの乗客なのです。多額の予算を投じて駅舎を建て替えた点を考えると、ますます利用客を増やすために積極的に関与しなければならないはずです。
こういった点や、市内観光拠点や街並みの整備の不徹底を見ると、函館市の問題意識やリーダーシップは弱いと思わざるを得ないのです。
我が北斗市のとるべき道
北海道新幹線の開業を控えて、北斗市は様々な観光資源開発を計画しているようですが、私はいささか疑問に感じています。
批判を恐れずに申しますと、我が北斗市が新駅に関連してとるべき施策は大きく二つ、
1.観光は他のマチに任せて中継役に徹する
2.東北経済圏とのつながりを築いて、企業誘致を行う
です。
道南の観光振興については、以前の記事でお示ししていますのでそちらをご一読頂きたいと思います。
道南の観光振興を考える(1)
道南の観光振興を考える(2)
道南の観光振興を考える(3)
企業誘致については、高谷寿峰市長が精力的にトップセールスを行っていますが、より効果的な方法で行うべきです。
企業の視点から見ると、よその市長が誘致のために訪ねてきたところで、そう簡単に進出を検討したりはしません。企業が他の地域に進出をはかるとしたら、その判断基準は「その地域で儲かるか」という点に尽きます。想定されるリスクを上回る利益が予想されるなら、企業は利益を求めて進出を決断します。企業の利益を役所が約束するということはそう簡単にできることではありませんが、リスクを減じることはある程度できます。進出した企業に補助金を交付することもリスクの低減ですが、あらかじめ人脈を構築してやることもまたリスク低減につながります。つまり、市長や担当課の職員だけがトップセールスに歩くのではなく、市内の主立った企業や金融機関の要人も常に同行してもらうのです。
そうすれば、市長がトップセールスでこじ開けた扉を通して互いに行き来することができます。
私も現在、ある工場誘致の事案に関わっています(詳細はまだ明かせません)。相手の担当者は市議会議員としての私の存在に価値を見出していた様子で、落選したときはいろいろと苦言を頂戴しました。それでも数年内には何らかの結果が出そうです。我が北斗市の経済振興にわずかでも貢献できれば幸いです。
新幹線は一自治体の専有物じゃない
新幹線は一自治体のものじゃないと強く感じるようになったのは、2005年の着工式からです。

来賓として幾人もの国務大臣や国会議員などが集まり、それらをアテンドしていたのが高橋はるみ北海道知事だったのです。知事がスタッフとして来賓ひとりひとりに頭を下げてお迎えする姿は、新幹線は国家プロジェクトなのであってひとつの町や地域が勝手に振り回して良いものではないということをまざまざと物語っていました。
北海道新幹線は道南全てに恩恵をもたらすものでなくてはなりませんし、北斗市も函館市も海に浮かぶ孤島じゃないのですから、経済的には互いに深くつながりあっています。だから、北斗市だけが新駅を使ってひとりで儲けることはしてはなりませんし、そもそもできやしないのです。道南の持つ全ての力を集めて、全体で豊かになる道を探らなくてはならないのです。
2013年11月06日
減反政策の廃止は以前からわかっていた話
米の生産調整、いわゆる減反という政策について農林水産省が5年後をめどに廃止する方向で検討に入ったという報道がありました。
今後、様々な混乱があるものと思いますが、減反政策の廃止はずいぶん以前から想定できた話です。
5年前に予測できたこと
5年程前のことと思いますが、その頃北斗市議会の議員として2期目を勤めていた私は、議会の質疑において「いずれ、好むと好まざるとにかかわらず、必ず減反政策は廃止されます」と発言したことがありました。その発言の後、農家出身の他の議員達から批判やヤジを多少なりとも受けました。それらの批判はおおむね「農家でもないド素人が農政に口を挟むな」という趣旨だったと記憶しています。そして減反廃止などあり得ないとも言われました。
しかし各種統計資料を読めば、我が国が減反政策の廃止に舵を切らざるを得なくなることは、当時から十分に予測できたことでした。TPPによってこの流れは多少加速されたようですが、いずれにしろ不可避のことなのです。
なぜ、5年前の市議会で減反政策の廃止について発言したのかと申しますと、そのさらに先を見据えた政策を提案しようとしたからです。
世界の食糧生産力と人口のバランスは人口過多に傾きつつあります。食糧の生産力が人口を多少上回ったとしても、配分の機能が最適化されていないため、世界では常に飢える人々を生み出してしまいます。ただし、この状況下ではカネを払えば食糧は手に入ります。これが今までの我が国の状況です。
しかし、食糧生産力よりも人口が上回ってしまったら、完全に最適な配分が行われたとしても全ての人に食糧は行き渡りません。常識的に考えて、自国民を餓死させてまで他国に食糧を売ることはないので、カネを積んでも売ってくれない状況が現れます。将来の我が国が直面する状況がこれです。
ここ10年程、世界の食糧生産力と人口は逆転するかしないかの状況であり、さらに悪化しつつあるようですから、いずれ減反政策という生産調整などやっている場合ではないという話になることは、十分予測できたということなのです。
世界の食糧危機は北斗市のチャンス
ここまでは、世界レベル・国家レベルの話です。北斗市として取り組む政策はもっと具体的な提案です。私が減反政策の廃止という予測を立てた源泉は、上記の通り世界レベルの食糧事情の分析からですが、慢性的な食糧不足がもたらす、もうひとつの大きな状況は食糧価格の高騰です。食糧自給率40%弱(カロリーベース)の我が国にとって、これはまさに国難ですが、同じく自給率200%の北海道にとっては好機到来といえます。作った作物を高値で売れる販売チャンスということです。
そのまさに書き入れ時に、十分な売り物を用意できないとすれば、実に惜しい話です。その恐れがあることを私は市議会で指摘したのですが、これが冒頭の発言につながる話だったのです。
減反するということは、田を休ませたり転作することになります。休耕田としてしっかり手入れをしていれば、水田に戻すことは比較的容易ですが、耕作放棄地となって荒れてしまった田は1年では元に戻らないといいます。
農業政策は短期間での転換が大変難しいものなのです。ですから政府が方針を固めるよりもさらに数年早く自治体として手を打っておけば、ロスを最小限にとどめて農家の収益向上も見込めます。
例えば、学校給食で使用する米を100%地元産にするとか、水田を維持するために食用米より安い飼料米を奨励したりすることです。このために補助金などの形で市の予算を重点配分したとしても、10年後20年後にその時の農家がチャンスを掴んで高い収益を上げることができれば、税収として投資の回収ができます。
道路や橋や建物を作ることだけでなく、将来の市場動向を予測して市民の所得を確保するためのソフトな投資をすることも立派な公共投資なのです。国から方針が示されるまでボヤッとしているようでは、地方分権も看板倒れと言わざるを得ません。
2013年08月16日
8月15日という日に寄せて(2) 〜今後の国家経営と安全保障 情報と経済・外交〜
この日になると毎年恒例なのが、ニッポンの平和を考えるという類のテレビ番組です。例に漏れず今年も放送されていますが、この手の番組を視ていつも感じるのは議論が単純であるということです。
パネリストのひとりが、日本は軍事力で守ることが出来ない国土なのだ、と述べて軍事力を否定すれば、別のパネリストは軍事力を軽視してはいけないといった具合です。
歴史をひもとくと、軍事力のみで安全を確保することはできないということの事例をたくさん見つけることが出来ます。同時に経済力のみや外交力のみでも安全を確保できなかったケースを見出すことが出来ます。何かひとつの要素に話を絞るのは、自分も聞いている相手もわかりやすいかも知れませんが、世界の各国はわかりやすさで競い合っているわけではありません。あらゆる要素や手段は互いに関連し合っており、状況に応じてそれぞれの重要度が変化するものなのです。
さらにきちんとした話をしますと、安全保障を論じるに時間という重大な要素を抜きにすることはできません。強大な軍事力を持てば確かに戦争を挑まれる恐れは少なくなります。しかしそのために経済力が減じられるとなれば、いずれは危険な状態に陥ります。また、外交力で一旦は平和を確保できたとして、自らに関係する各国のなかに話が通じない国が生まれてしまったらどうでしょう。関係国がいつまでも話し合いだけで物事を解決してくれればよいですが、未来永劫変化しない国も個人も存在しません。変化が訪れるのは時間の問題なのです。
ですから、安全保障を考えるためには、
の2点が大切です。どのような政策を採用するかを判断するには、正確な彼我の情勢分析が不可欠です。自国を取り巻く状況はどうか、自国の国力はどれほどあるのか、他国はこちらをどう分析しているのか、などです。そして、情勢や使える手段が分かれば、それを実行に移すための準備をし意志を固めることです。
次に、いつまでその政策は使えるのかという点は、将来の情勢変化を見込むことです。また、いつまで継続するのかということは、まさに未来を予定することです。永遠に続けられる策などないのです。
では我が国は今後どうしたらよいのか、以下に私案を述べたいと思います。
●情報(インテリジェンス)
まず、情報(インテリジェンス)機関の拡大・整備を進めます。60年以上前に建国したイスラエルは国土が小さく入り組んでいるために、インテリジェンスを国防の要としました。我が国は長大な海岸線と多数の島嶼を持ち、防衛しにくい国土でもあります。正確なインテリジェンスを元に機動的に防御しなければなりません。
また、インテリジェンス機関が集めるのは軍事情報だけではありません。軍事力も含めた国力を形作る重大な要素は経済力です。これを守り成長させるために、経済情報をどん欲に集める必要があります。
そして、外交もインテリジェンスがなければ何も出来ません。インテリジェンスは国家の五感そのものなのです。
●経済と外交
次に経済と外交についての提案です。経済は国を支えるというだけでなく、諸国との利害関係を作り出します。たとえ敵対的な関係であっても、経済的な利害が絡み合えば、互いの感情にかかわらず軍事衝突の可能性は減じられることを歴史は教えています。外交については経済とも軍事とも強い関連性があるので、ここでは経済と絡めて述べることにしました。
最近のトレンドはTPPについてでしょうが、私の提案は日本海側の開発を進めて日本海沿岸各国との交易を増大させることです。特にロシアとの関係を深めます。ロシアは今までのところ中国と相成れない関係になっています。安全保障とはバランスオブパワーの成果物である以上、敵の敵は味方というほどではなくとも牽制するために利用できます。もちろんこれは相手にとっても言えることです。
具体的にどう関係を深めるかその方法ですが、北方領土問題についてある程度妥協することで極東シベリアと北極海航路の開発に絡むのです。もちろんアメリカも引き込みます。北極海航路は長期にわたり莫大な利益をもたらすことでしょうが、そのためには日・米・ロが協調せざるを得ない関係を構築するのです。
北方領土問題について妥協すると述べましたが、具体的には歯舞・色丹の2島プラス国後の一部返還で合意するということです(面積2等分案で、国後の全てと択捉の一部ならなお良いですが、ここではあまり欲を出さずに国後の一部としておきます)。これは我が国の世論を大きく揺さぶることになるでしょうが、反対に4島返還ならロシアの世論に激震が走ることでしょう。なぜなら、ロシアの歴史はモスクワの小さな城塞都市から始まる領土拡大の歴史であり、理由もなく領土を失うということは政権を揺るがす程の大事件なのです。しかし、ロシア人もバカではありません。国家経営上の十分な合理性があれば領土の交換や境界の策定などに合意することは近年幾度も見られています。そして十分な合理性とは、我が国との関係を正常化し国後島の上で陸の国境で接することができるという点です。我が国にとっても半世紀以上無かった陸の国境を持つことになります。この国境沿いに経済特区を設けて日・ロ両国の経済活動の接点とするのです。この経済特区は北太平洋とオホーツク海に面し、北は北極海航路、南は太平洋沿岸と日本海への航路に接続します。
台湾、トルコとの関係強化も大切です。台湾は隣国であり親日国でありシーレーンにもまたがっているので重要なのは当たり前ですが、トルコもまた将来の我が国にとって大切な国です。なぜなら、21世紀の中盤はアフリカ大陸の権益が極めて重要になることは明白ですが、我が国がアフリカに入っていくための玄関のひとつがトルコであろうということなのです。トルコは大変な親日国であるだけでなく、古代からヨーロッパとアジア、北アフリカに接する文明の十字路であり、ギリシアの都市国家も多数存在していました。そんなトルコには我々の知らないアフリカへのルートがあるはずです。
さらに教育の話にもなりますが、アフリカで活躍できる人材の育成のため、フランス語教育にも力を入れなければなりません。アフリカ大陸の諸国でそれなりの地位を持つ人々の公用語はフランス語です。広大なアフリカ大陸に権益を求めようとするなら、フランス語ができるビジネスマンや役人はいくらいても足りないくらいでしょう。
→8月15日という日に寄せて(2) 〜今後の国家経営と安全保障 軍事〜に続きます。
パネリストのひとりが、日本は軍事力で守ることが出来ない国土なのだ、と述べて軍事力を否定すれば、別のパネリストは軍事力を軽視してはいけないといった具合です。
歴史をひもとくと、軍事力のみで安全を確保することはできないということの事例をたくさん見つけることが出来ます。同時に経済力のみや外交力のみでも安全を確保できなかったケースを見出すことが出来ます。何かひとつの要素に話を絞るのは、自分も聞いている相手もわかりやすいかも知れませんが、世界の各国はわかりやすさで競い合っているわけではありません。あらゆる要素や手段は互いに関連し合っており、状況に応じてそれぞれの重要度が変化するものなのです。
さらにきちんとした話をしますと、安全保障を論じるに時間という重大な要素を抜きにすることはできません。強大な軍事力を持てば確かに戦争を挑まれる恐れは少なくなります。しかしそのために経済力が減じられるとなれば、いずれは危険な状態に陥ります。また、外交力で一旦は平和を確保できたとして、自らに関係する各国のなかに話が通じない国が生まれてしまったらどうでしょう。関係国がいつまでも話し合いだけで物事を解決してくれればよいですが、未来永劫変化しない国も個人も存在しません。変化が訪れるのは時間の問題なのです。
ですから、安全保障を考えるためには、
1.どのような政策を採用して実行するのか
2.その政策はいつまで通用する見込みなのか、いつまで継続するのか
の2点が大切です。どのような政策を採用するかを判断するには、正確な彼我の情勢分析が不可欠です。自国を取り巻く状況はどうか、自国の国力はどれほどあるのか、他国はこちらをどう分析しているのか、などです。そして、情勢や使える手段が分かれば、それを実行に移すための準備をし意志を固めることです。
次に、いつまでその政策は使えるのかという点は、将来の情勢変化を見込むことです。また、いつまで継続するのかということは、まさに未来を予定することです。永遠に続けられる策などないのです。
では我が国は今後どうしたらよいのか、以下に私案を述べたいと思います。
●情報(インテリジェンス)
まず、情報(インテリジェンス)機関の拡大・整備を進めます。60年以上前に建国したイスラエルは国土が小さく入り組んでいるために、インテリジェンスを国防の要としました。我が国は長大な海岸線と多数の島嶼を持ち、防衛しにくい国土でもあります。正確なインテリジェンスを元に機動的に防御しなければなりません。
また、インテリジェンス機関が集めるのは軍事情報だけではありません。軍事力も含めた国力を形作る重大な要素は経済力です。これを守り成長させるために、経済情報をどん欲に集める必要があります。
そして、外交もインテリジェンスがなければ何も出来ません。インテリジェンスは国家の五感そのものなのです。
●経済と外交
次に経済と外交についての提案です。経済は国を支えるというだけでなく、諸国との利害関係を作り出します。たとえ敵対的な関係であっても、経済的な利害が絡み合えば、互いの感情にかかわらず軍事衝突の可能性は減じられることを歴史は教えています。外交については経済とも軍事とも強い関連性があるので、ここでは経済と絡めて述べることにしました。
最近のトレンドはTPPについてでしょうが、私の提案は日本海側の開発を進めて日本海沿岸各国との交易を増大させることです。特にロシアとの関係を深めます。ロシアは今までのところ中国と相成れない関係になっています。安全保障とはバランスオブパワーの成果物である以上、敵の敵は味方というほどではなくとも牽制するために利用できます。もちろんこれは相手にとっても言えることです。
具体的にどう関係を深めるかその方法ですが、北方領土問題についてある程度妥協することで極東シベリアと北極海航路の開発に絡むのです。もちろんアメリカも引き込みます。北極海航路は長期にわたり莫大な利益をもたらすことでしょうが、そのためには日・米・ロが協調せざるを得ない関係を構築するのです。
北方領土問題について妥協すると述べましたが、具体的には歯舞・色丹の2島プラス国後の一部返還で合意するということです(面積2等分案で、国後の全てと択捉の一部ならなお良いですが、ここではあまり欲を出さずに国後の一部としておきます)。これは我が国の世論を大きく揺さぶることになるでしょうが、反対に4島返還ならロシアの世論に激震が走ることでしょう。なぜなら、ロシアの歴史はモスクワの小さな城塞都市から始まる領土拡大の歴史であり、理由もなく領土を失うということは政権を揺るがす程の大事件なのです。しかし、ロシア人もバカではありません。国家経営上の十分な合理性があれば領土の交換や境界の策定などに合意することは近年幾度も見られています。そして十分な合理性とは、我が国との関係を正常化し国後島の上で陸の国境で接することができるという点です。我が国にとっても半世紀以上無かった陸の国境を持つことになります。この国境沿いに経済特区を設けて日・ロ両国の経済活動の接点とするのです。この経済特区は北太平洋とオホーツク海に面し、北は北極海航路、南は太平洋沿岸と日本海への航路に接続します。
台湾、トルコとの関係強化も大切です。台湾は隣国であり親日国でありシーレーンにもまたがっているので重要なのは当たり前ですが、トルコもまた将来の我が国にとって大切な国です。なぜなら、21世紀の中盤はアフリカ大陸の権益が極めて重要になることは明白ですが、我が国がアフリカに入っていくための玄関のひとつがトルコであろうということなのです。トルコは大変な親日国であるだけでなく、古代からヨーロッパとアジア、北アフリカに接する文明の十字路であり、ギリシアの都市国家も多数存在していました。そんなトルコには我々の知らないアフリカへのルートがあるはずです。
さらに教育の話にもなりますが、アフリカで活躍できる人材の育成のため、フランス語教育にも力を入れなければなりません。アフリカ大陸の諸国でそれなりの地位を持つ人々の公用語はフランス語です。広大なアフリカ大陸に権益を求めようとするなら、フランス語ができるビジネスマンや役人はいくらいても足りないくらいでしょう。
→8月15日という日に寄せて(2) 〜今後の国家経営と安全保障 軍事〜に続きます。

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