2015年07月17日

北海道新幹線開業に向けて、観光PR用大型ロボット「イカボー11号機」プロジェクト発進!

 昨年より公立はこだて未来大学とロボットフェス・インはこだて市民の会とで検討を続けていた、観光PR用巨大イカ型ロボット「イカボー11号機」の製作に向けて、プロジェクトが走り出しました。
 未来大の学生さん達によるプロジェクトの名前はそのものズバリの「いかロボットプロジェクト」です。
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 この「イカボー11号機」の元になったロボット「イカボー1号機」は、Youtubeなどですっかり有名になったイカール星人のPVに函館を破壊するロボットとして登場していましたが、元々は全高2m・重量200kgの現物が先で、その後デザインをPVに利用したいという申し入れがあって実現したものです。
 今では、イカール星人の方が有名になって「実物も作ったんですね〜」なんて事実と反対のことを言われてしまう始末ですが(笑)何がともあれ、函館のPRになるのは結構なことです。
 さて、今回は1号機を上回る全高3.8mの大型ロボットを目指しています。
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写真左が1号機。右が11号機の想像図

 私が現在、会長をつとめている「ロボットフェス・インはこだて市民の会」(←私は函館市民じゃないのに!)も、これを応援すべく資金集めに奔走していますが、頼もしい学生さん達は自力でその資金を調達しようとしています。その方法はクラウドファンディング。現在READYFOR?というクラウドファンディングのサイトにエントリーしています。
 学生さん達の熱意をぜひ形にすべく、広く皆様にご支援を募りたいと私からもお願い申し上げます!
 以下にREADRFOR?のページへのリンクを示します。
[READYFOR?]
「イカロボットを完成させ北海道新幹線とともに函館を盛り上げたい」
URL https://readyfor.jp/projects/ikabo

以下は、関連リンクです。

[いかロボットプロジェクト Facebookページ]

[ロボットフェス・インはこだて市民の会」
posted by しらいし at 20:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 観光

2012年11月21日

道南の観光振興を考える(3)

 先日、社団法人函館青年会議所(以下函館JCと略します)主催の「観光地はこだてフォーラム」に参加してきました。基調講演のち有識者による座談会という趣向でしたが、基調講演の講師を務められた清水愼一氏がなかなか痛快な人物で、大変辛口かつ的を射た内容の講演でした。観光業や行政の方々には耳の痛い話の連続だったようです。
 その話の内容ですが、衰退する観光地は旧態依然としたスタイルであるとか、これからの観光は個人が主体で体験や街歩きにシフトしているとか、住民全体で観光を考えようとか、PRにお金をたくさんかけてはいけないなどといったものでした。しかしながら私自身には違和感のない話でそれほど新鮮みも感じない。何のことはない、私が現職の議員だった頃に口を酸っぱくして言い続けた話とだいたい同じだったからです。
 と、こう述べるといかにも過去の自慢話のようで(しかも後出しジャンケンのようでもあり)見苦しい感もありますが、清水氏の話と私の考えが似通っていたというのは、原理的に考えて当然のことでもあります。
 つまり、観光という産業について広く深く捉え、調査を重ねて、真剣に考え続ければおのずと答は近づいてくるものです。そして、清水氏は観光についてのエキスパートであり、長い間、様々な機会にご自身の理論を発信し続けていたのですから、その断片が姿形を変えて私のもとにも届いていたでしょうし、知らず知らずのうちに私の考えに大きな影響を与えたはずなのです。
 ただ、残念だったのは同じ内容の話をしても、私が述べるとよくできた素人とあしらわれ、清水氏だと皆傾聴するという現実です。これは、人々がブランドイメージに左右されている事の現れですが、同時に聞く前から先入観を持つがために問題に対する理解を深める機会を逸しているということでもあります。
 世間では、声が大きく様々な発言をする人を有識者であるかのように受け止める傾向がありますが、発信力だけがある単なるアジテーターもまたたくさんいるのです。自分たちが抱える問題を解決するにあたって、本当のノウハウを持つ者は誰なのかということをもっと真剣に考えた方がよいと思います。

 さて、清水氏は講演の中で繰り返し「街歩き」を訴えておりました。人が住み、それぞれの人生の一部分がモザイクのように組み上がっていき、長い時間をかけて形を成す「街」という構造体は、それ自体が深い魅力を有しています。「街」にはそこに住む人々が見せたいと願って作り上げた姿もあれば、必要に応じて自然と形づくられた街並みもあります。それは、人々の意志とその土地の環境が織りなす文化であるとも言えます。
 しかし、「街」を歩き、知ることはなかなかに大変なことでもあります。そこにはパンフレットもなくガイドもいません。「街」の一部分を丁寧に紹介することはあっても、全てを手際よく見せることは出来ないのです。それだけに、「街歩き」は様々な魅力を秘めており、楽しみ方も人それぞれなのです。

 そして、これは観光そのものにも言えることですが、「街歩き」は自分達の持つ文化や伝統を見てもらうということと言えます。ただし、わざわざ遠くからやってきて見てもらうからには、ここにしかないものや類い希な価値あるものを見て頂きたいものです。では、私たちの住む土地にある類い希な文化や伝統とはなんでしょうか。
 ひとつ例を挙げると、函館の元町界隈に密集しているお寺や神社、教会などの宗教施設群です。私たち日本人にとって、お寺と神社がお隣同士という光景は見慣れた光景です。そこに教会が加わっても、ロマンや異国情緒を感じるだけでそれほど違和感はありません。しかし、未だ宗教同士の争いが絶えない世界では、異なる宗教施設が至近距離にあるということは、緊張状態を生み出す原因にもなります。カトリック元町教会
 比べて元町の状況は、至近距離どころか石畳のそれほど広くない通りを挟んでハリストス正教会とカトリック元町教会、そのすぐそばには東本願寺函館別院や聖公会の聖ヨハネ教会、船魂神社、妙福寺、少し下るとプロテスタントの日本キリスト教団函館教会、やや離れたところに函館護国神社という密集ぶり。町内会まで一緒という施設同士もあるようです。ここにイスラムのモスクとヒンズーの寺院も建ててもらえたら、ほとんど宗教テーマパークのような様相を呈してくるでしょう。
 異なる宗教同士がこれほど近くにいても互いに争わず函館山に寄り添うようにして共存共栄しているという光景は、世界でも希に見る平和で荘厳な姿であると思います。この光景を可能にした精神や文化も、今までは信仰心や宗教観の欠如と言われてきました。しかしそれは違うのです。私たち日本人は宗教同士の争いをとっくに卒業しているということなのです。祖先が遙か昔に得た、この先進的な精神が結実した姿が元町の街並みであり、これは世界に向けて誇るべきものなのです。

 講演の終盤で清水氏は、耳の痛い話を繰り返した理由を述べていました。曰く、人生の残りも少なくなってきた自分の役割は、行く手に穴があったら教えてあげること。たとえ耳障りが良くなくても、リスクがあったらアドバイスする、とおっしゃっていました。
 氏は自己紹介で、長野県の小諸市の出身であると述べておりました。そして国鉄、JR東日本、JTBとキャリアを積み現在に至る経歴を聞くにあたって、然もありなんと感じました。小諸市、国鉄、JR、そして新幹線というつながりは、長野新幹線の佐久平駅をめぐって巻き起こった様々な出来事を想起せずにはいられません。講演の中では述べておりませんでしたが、氏の様々な後悔や無念は察するに余りあります。
 今回、このフォーラムを開催するにあたって清水氏を招聘した函館JCの皆さんについて、その慧眼を高く評価すると共に、氏の厳しい意見を真剣に受け止めることを求めます。
 清水氏の言葉は警告です。

道南の観光振興を考える(1)
道南の観光振興を考える(2)
posted by しらいし at 02:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 観光

2012年08月21日

道南の観光振興を考える(2)

 暦の上では秋、と言われてもさっぱり実感の伴わない暑い8月ですが、この時期は毎年地元で開催している「ふるさとの夏まつり」に実行委員として関わっているためにいつも東奔西走しています。私にとっては、まさに灼熱の8月という状態です。
 さて、こういったイベントはたいてい趣旨として「振興」とか「活性化」といった文言が並んでいます。もちろんたずさわる人達は皆さん、そのつもりで頑張っているんですが、なかなか思い通りの成果は上がりません。それだけ難しいものだということなのでしょう。

 道南にとって観光振興といったら、やはり北海道新幹線の開業が一番のイベントになることでしょう。しかし、以前にも書いたとおり今の取り組み方には大変疑問を持っています。では、どうしたらよいのか。私の考えるポイントは次の3つです。

1.既存の観光資源を見直す
2.地元の歴史をしっかり理解する
3.他にないモノを見いだす

一見、どれも当たり前の事のように見えますが、当たり前が出来ないのが世の常です。以下それぞれに詳しく述べていきます。

1.既存の観光資源を見直す
 具体的には、函館・大沼・松前・江差などの広く名の通った観光地を指しています。特に函館の知名度は突出していますが、観光を産業とする都市としてしっかり機能しているでしょうか。
 例えば、西部地区の金森赤レンガ倉庫群。海沿いに赤レンガと石畳の街並みは、明治の香りと異国情緒が織りなす独特な風情があり、散策するには持ってこいです。しかし実際の現場はとても残念なもので、石畳の上には路上駐車の車両と、それを妨げようとする無粋なカラーコーンが置かれ、生活道路として地元の車が盛んに走っています。観光客は、車の間を縫って注意しながら歩いているように見えます。いったいあの街並みは誰のために整備したのでしょうか。観光客に楽しんでもらうなら、車両の乗り入れを禁止するくらい当たり前です。金森赤レンガ倉庫
 他の観光地に比べて、函館は観光資源に恵まれすぎているせいか、あまり努力や工夫が見られないように感じます。何年か前に当時の函館市長が「ホスピタリティー」をテーマに掲げていろいろとお話しされていた事がありましたが、どうしたら観光客の方々が楽しく心地よく過ごせるのか、もっと真剣に考え、その視点で既存の観光資源を運用面も含めて整備していくべきでしょう。地元優先の姿勢ではホスピタリティーなんて単なるブラックジョークです。
 また、観光地同士の連携はどうでしょう。以前、大沼観光協会の方とお話ししたときに、函館の観光コンベンション協会に何か提案してもきちんと話が伝わらない、と嘆いておられました。互いに意思疎通がうまくいかない、しかしそれぞれの観光地が、単独で何かを企画してもおのずと限界があります。そして、本州の、特に首都圏の人々は函館・大沼・松前・江差あたりは日帰りコースでパッパとまわれる、ひとまとめで楽しめるという感覚を持っている方が多いと感じます。車で1、2時間走ったら県境を越えてしまうような土地に住む人々に、北海道の距離感は想像できません。ですから、それぞれの観光地を有機的につなぐ戦略とアクセスの重要性があるのです。バスや列車に乗って移動している時間は、たとえ長くても旅情感があるかもしれませんが、乗り換えの不便さや案内のまずさによる待ち時間は不快にしか感じないでしょう。そのためにも、広域で考える観光というものが大切になってくるのです。

2.地元の歴史をしっかり理解する
 これは、この地域の人々に強く訴えたいところです。また函館を例にしますが、「歴史ある街・函館」といった感じのPRをよく目にします。でもよく考えると、函館ってそんなに長い歴史があるでしょうか。函館にまつわる古い文献をたどっても遡れるのはせいぜい450年ほど。この程度で北海道以外の人々に歴史ある街と訴えても理解されません。本州や九州などは1000年以上の歴史を持つ街や地域などざらにあります。だいたい、道南でも一番古い地域は松前や上ノ国で1300年くらいの歴史があります。
 このように函館は比較的歴史の浅い街なのですが、そのかわり他の街にはない波瀾万丈の歴史があります。ここでその盛りだくさんの歴史について語りたいところですが、もの凄く長くなりますので残念ながらまたの機会にしたいと思います。ただ、その波瀾万丈の歴史の証拠として、異国情緒あふれる街並みがあるのです。おそらく、長い歴史があるという錯覚は、明治になって開拓された北海道の中で比べたら、という視点からくるものだと思いますが、その認識のまま全国へ発信しても理解されないのではないでしょうか。「それほど長くはないが、他に類を見ない歴史を持つ街」これが函館の姿だと思います。
 また、函館の歴史理解についてとても残念に感じている点のひとつが、開港した年の解釈です。たしか今年は、開港153周年とうたっているはずですが、これは安政五カ国条約によって商業港として開港した1858年から数えているからでしょう。しかし実際には、その4年前の日米和親条約によって補給・休養のための港として下田とともに開いているのです。なぜこのような歴史的事実を無視して開港153年とうたうのか、いろいろと理由があるらしいですが、私は下田とつるむより、開港五都市として横浜や神戸、長崎、新潟といった大都市と一緒にやっていったほうが得策だという打算がどこかにあるのだと考えています。もし、そうであるならば実に浅ましい考え方だと思います。
 だいたい、開港五都市のうち、函館以外の都市はみな県庁所在地で長崎以外は政令指定都市です。その巨大な都市群の企画や行動に函館は互していけるのか、ついて行けるのか、大変疑問に感じます。
 しかし、規模において劣る函館が持つ大きなアドバンテージが、横浜や神戸より先に開港している、という歴史的事実です。そしてアメリカ合衆国は、日米和親条約こそ日米の交流の始まりと考えています。その証拠に、下田の150周年には総領事館から日米和親条約のレプリカが寄贈されています。
 今からでも遅くはありません。下田とともに2014年は「開港160周年」と堂々とうたいましょう。そして、アメリカにもセレモニーに登場願うのです。他の政令指定都市を尻目に、函館と下田が日米の160年に及ぶ波乱の歴史と友情を演出する。これくらいの発信をしてこその観光都市はこだてなのではないでしょうか。

3.他にないモノを見いだす
 観光資源開発というと、すぐにリゾート開発や記念館などを作ったりしますが、一夜漬けで作った観光資源では人は集まりません。そもそも、お金と時間をかけてやってくる観光客の方々に失礼です。
 人はそれぞれの日常にないものを求めて旅してくるのです。それこそロマンや冒険、癒やしなどを求めてくるのです。そんなものを短期間で作れるわけがありません。では、どうしたらよいのでしょうか。
 答えは、私たちの身近に眠っています。
 例をひとつ挙げると、道南には円空の仏像がいくつもあります。円空仏を訪ねて、半ば自分探しの旅をする人は意外に多いものですが、観光全体からみればマニア向けでニッチな市場と捉えられます。ですが、マニアはお金と時間をそれほど惜しみません。そして、マニアはちょっとしたヒントから探し出してやってきます。つまりPRにコストがかからないということです。
 しかし、マニア向けのニッチな観光資源では集客効果が望めない、と普通は考えます。まさにその通りですが、前述したとおりマニア向けのPRコストはとても小さい。だから、そんな小さな観光資源をたくさん揃えれば良いのです。たくさん揃えても元々コストはゼロに近いのですから、合計してもそれほどの額にはならないでしょう。
JR江差線(木古内付近) さらに例を挙げると、先日残念ながら廃止の方針が打ち出されてしまったJR江差線の湯ノ岱駅。ここでは、列車の閉塞方式にスタフ閉塞を用いています。また、昔懐かしい硬券入場券(昔の堅い切符です)が販売されています。このふたつは、鉄道マニアにとってはなかなか見逃せないもののようですが、私の知る限りJR北海道も駅が設置されている上ノ国町もこの件については特にPRしていません。ということは、PRにかかるコストはゼロです。しかしこの江差線、私も乗ってみましたが平日の日中でも鉄道マニアとおぼしき方々が4人ほど乗車しているところを見ました。少なく見積もっても年間1000人以上は乗っている可能性があります。こういったマニア向けの観光資源を100カ所見つけ出せば、観光入込客数年間10万人増も夢ではありません。100カ所も見つけ出す手間を考えたら、1カ所を大きく開発すればよいという人もいるでしょうが、そのための予算はどれほどでしょう。また、作った施設は維持管理のためのランニングコストもかかります。
 見つけ出す手間も実はそれほどではありません。ほとんどの自治体には、いわゆる郷土史家と呼ばれる人がいるものです。その方々はまさに地域の歴史遺産についての「歩く辞典」です。そういった方々の蓄えられた知識を借りればよいのです。ちゃんと敬意を払ってお願いすれば協力は惜しまないと思います。

 観光とは非日常の体験です。新しい景色、小さな冒険や探求、普段と違う癒やし、家族や気の置けない仲間と共有するいつもと違った時間と空間、または見知らぬ土地で見つける自分自身。そんなそれぞれの旅に、おもてなしの情を添えて差し上げる。そういう地域になるよう知恵を出し合って努力すれば必ず報われることでしょう。
posted by しらいし at 23:47| Comment(0) | 観光

2012年01月25日

道南の観光振興を考える(1)

 先日、私の両親が経営する飲食店に三平汁についてのアンケートが届きました。北斗市の新たな名物として三平汁をアピールしたいというものです。2015年度の北海道新幹線開業まであと3年ほどとなりましたが、地元は観光振興を強く意識し始めたということでしょう。こうした観光振興にまつわる主張は以前からもありましたが、私が現職の議員だった頃からいろいろと疑問に思っていたことを書きたいと思います。

長野新幹線 まず取り上げたいのは、札幌延伸を強く反対もしくは憂慮する意見についてです。これは、札幌まで新幹線が延伸したら新函館駅[仮称](以下、新駅と称します)は通過駅となり、乗客は皆札幌へ行ってしまう、新幹線効果はなくなるというものです。類似した意見としては、新駅開業時点でも単なる乗り継ぎ駅になるから同じく新幹線効果は見込めない、というものもあります。
 この意見は非常にナンセンスで強く反感を覚えます。なぜか、この意見は新幹線に乗ってやってくる人々の行く手をふさげばそこで降りざるを得ないから地元にお金が落ちるという話になってしまうからです。来訪者の目的にかかわらず行く手をふさげば自分達の方に向くという考え方は、来訪者に対して実に失礼なものです。それぞれの来訪者は皆それぞれに目的があるのですから、立ちふさがったところで不愉快にさせるだけで目的の地に向かっていくでしょう。新駅で降りてほしければ行く手を邪魔するのではなく、そもそも地元に来てもらえるように自らの街や土地を磨き上げることが肝要なのではないでしょうか。

 次に、地元北斗市の観光資源開発についてです。以前から、きじひき高原を開発・整備して本州から観光客を呼び込もうという意見があります。これについては、まず無理だろうという印象を私は持っています。確かに、函館山と大沼を一望できるきじひき高原からの眺めはとてもすばらしいと感じます。しかし、東北・北海道新幹線沿線から行ける観光地にはきじひき高原と同じくらいかそれ以上の大パノラマはいくつもあります。きじひき高原の展望はすばらしいものではありますが、それほど抜きん出たものではありません。ましてや、そこにアルパカを放牧してふれ合えるようにしたら首都圏からたくさんの観光客を見込めるという主張もありましたが、現実離れも甚だしいと言わざるを得ません。アルパカ牧場なんて首都圏周辺にいくつもあり、アルパカを触るためだけに新幹線に乗って首都圏の人々がやってくるなどということは考えられません。

 また、地元特産のお土産を開発しようという意見もかなり以前からあり、地酒だアイスだといろいろ取り組んでいました。その一部に私も関わったことがありますが、その実態は予算が付いたから何かしなければならないという話で、これは順序が逆だと感じていました。
 アイスクリームを開発しようとしているのに、委員会のメンバーに飲食店や食品を扱う人がほとんどいない、おまけにチェーンスモーカーが多くて、試食をさせてもかなり味を濃くしてはっきりさせないと、味がよくわからない様子でした。カネが付いたから事業を立ち上げてメンバーを集めるとこうなるという典型的な委員会でした。
 また特産品開発においてよく見かける失敗として、マーケティングリサーチをしないという点もあります。観光客がお土産を買っていく時に選ぶ基準は何か考えてみると、ひとつは全国的に有名な特産品である場合。ネームバリューが購入時の安心感につながり無難な選択をしていると考えられます。もうひとつは、自分自身が興味を持った場合。無名なものであっても、自ら食べてみたい、体験してみたいという気持ちが小さな冒険心を生み出すと考えられます。北斗市においては、全国的に有名な特産品は特にありません。であれば、小さな冒険心をくすぐるものでなくてはいけません。しかし考えてみて下さい。自分の趣向に合っていないものを果たして選ぶでしょうか。
 仮に新幹線に乗ってやってくる観光客は首都圏の人々であると想定し、新駅で特産品として食べ物を扱うことを考えたとき、地元の私たちが美味しいと感じるものと首都圏の人々の趣向は一致しているでしょうか。私の経験からすると、両者の食文化にはかなりの違いがあります。自分達の自慢できるものを提供することは大切ですが、手にとって検討するのは自分達ではありません。見た目だけで美味しいかもしれないと思わせるためには、相手の趣向にも合わせなければなりません。そのためのマーケティングリサーチなのです。
 ところが、こういった観光振興を訴える人々の中で、ちゃんとリサーチをしている人は少数派に感じます。観光客を呼び込みたければ、そもそも観光とは何か、ということを知らなければならないのに、自ら積極的に観光をせず自分の中の固定観念にとらわれていると見える人が多いのです。相手が何を欲しいのか分からずに、適切なモノやサービスを提供できるのでしょうか。

 観光客を呼ぶイコール全国にPRして集客するという固定観念も問題です。前述のきじひき高原をまた例に挙げますが、私の感覚ではきじひき高原は全国レベルの観光資源ではありません。ですが、それで良いではないですか。地元の人々がゆっくりするための観光もあってよいのです。道南の特に北斗市周辺での全国規模の観光資源としては、函館と大沼が2枚看板だと感じています。その2つの観光地がたくさんの観光客を集めればよいのです。そうして売上が上がれば、その効果は北斗市にも波及します。経済圏としては函館市と北斗市はつながっているのですから。そして、仕事に疲れた地元の人々がきじひき高原でゆっくり休んだり楽しく遊んだりすればよいのです。

 北海道新幹線も見据えた道南の観光振興策については、次の機会に取り上げたいと思います。
道南の観光振興を考える(2)へ
posted by しらいし at 15:44| Comment(0) | 観光

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