今朝、北斗市で高坂農園を経営されている、高坂重勝氏のFacebookの記事を読みました。実に興味深い問題提起だったのでコメントを書こうかと思ったのですが、あまりに長くなったのでブログに書くことにしました。
リンク:高坂氏の記事『日本の食料自給率について』
(Facebookのアカウントが必要です)
高坂氏のその記事は、「かなり長文です m(_ _)m 食料自給率の件についてちょっと皆様の意見をお聞かせ願いたいです」という書き出しから始まる、食糧自給率(カロリーベース)の解説と生産者としての考え方、需給のミスマッチなどについて書かれています。Facebookのアカウントをお持ちの方は是非ご一読いただきたいと思います。
高坂氏の記事の冒頭に『日本の食料自給率について』と題して、カロリーベース総合食料自給率についての説明がありました。詳しくは氏の記事をお読みいただくとして、私は食糧自給率について私見を述べたいと思います。
■有事とは何か
食糧自給率について議論を展開する際に、この概念は基本的に国家安全保障の分野になりますから、「有事とは何か」という前提が必要になります。
一般に有事と言えば軍事上の紛争や衝突、戦争などを指しますが、これは狭義の有事であって、広義には「その時点の国家にとっての弱点を突かれること」です。何の原因も状況もなく軍事力を行使することはありえず、その前段階として様々な利害の衝突やミスマッチがあります。そしてその状況を解消しようとする国家によって自国の弱点を認識され利用されることにより危機が生じ、そこから脱しようとして対立がエスカレートし、時に軍事力の行使を選択するのです。
■我が国の弱点とは
我が国の弱点は、食料やエネルギーを含む様々な資源の自給率の低さです。しかし150年ほど前までは、ほぼ自給自足の経済でした。つまりそこまで国の姿を戻せば、自給率の話は心配ナシとなります。
この場合、生活スタイルだけでなく国全体の話になりますから、道路も舗装はナシ、ネットどころか電話もナシ、自動車も鉄道も飛行機もナシ、自衛隊も警察もナシですからそもそも国防自体できません。
もちろんこれでは馬鹿げた想定になりますから、自給率に経済の方を合わせるという話は、危機感を煽るときのたとえ話ということになります。
食料は地下資源と違ってどこでも生産できるという屁理屈もありますが、高坂さんの話でもバナナの部分で出てきたとおり、現実に必要な量を生産できないものはたくさんあります。
■ほとんどの国は輸入に頼っている
そもそも、多様な生活スタイルを実現したければ、ほとんどの国で何らかの資源が不足していて、輸入に頼らざるを得ません。
安定的に資源を輸入するためには、その買い物の支払いを継続できる経済力と、国際社会の安定と平和の維持が必要です。
輸入の支払いにあてる経済力とは、結局のところそれに見合った何らかの形の輸出であり、その品目は資源でも製品でも資本でも、場合によっては人材でもかまいません。
国際社会の平和と安定の維持については、日頃から経済力・外交力・軍事力などのパワーバランスをとる努力が必要です。
このパワーバランスの大きな要素の一つが自給率という概念なのです。
■パワーバランスの要素としての自給率
自給率があまりに低ければ、それは他国に弱点と見なされ、そこを締め上げれば屈服すると認識されます。しかし締め上げたところで、その国と国民が我慢すればすむ程度の低さであれば、弱点とは言えません。
また、シンガポールのようにほぼ自給は不可能な国家もありますが、その分、国際社会にとってなくてはならない価値があれば、それでも安全は確保されます。
つまり、自給率が100%を超えなければ問題だというわけではなく、どの程度国内で確保していれば良いのかは、その国の置かれた状況によって違うわけです。また、自給率100%以上の国は資源輸出国になると考えられますが、その資源が世界の市場で供給過剰になったりすると、国内経済にも悪影響が出るので輸出国の立場が強いと単純には言えません。
したがって、市場をコントロールできる国こそ立場が強いということになります。市場をコントロールするためには、強くて柔軟な外交力や軍事力、経済力が必要です。資本や基軸通貨を制御できる仕組みも必要です。
自給率という数字は、危機に対する強さを表すものと言えます。それが全てではないし、しかし軽視して良いものでもありません。
■食糧自給率と安全保障
安全保障と自給率の関係を述べましたが、特に食料自給率に関して注目すべきはヨーロッパで以前から導入されている直接支払い制度などの農業保護・育成政策です。食糧自給と安全保障は強い関連のある概念ですから、採算性のみでこの問題に取り組むことはありえません。
ところが我が国においては、そこを民間の経済活動に大きく頼るというところに問題があります。軍事力によって国防を担う自衛官は公務員で給料が支払われるのに、食料生産を担う農家等の生産者は、そこは採算ベースで自分の稼ぎでという話はいささか無理があると思います。もちろん農家を公務員に、という話ではありませんし、農家だけが国の重要な産業という話ではありませんが、我が国にとって重要な要素だと考えるならば、それ相応の待遇が必要だと思うのです。
■金を積めば良いという話ではない
世界全体の食料生産力は、近年まで世界人口を上回っていました。これは、需給のミスマッチを解消できれば飢餓を解消できるということであり、我が国においては金さえ出せば食料を輸入できるという意味になります。
しかし徐々に供給力に人口が追いついてきており、いずれは拮抗し逆転する状況が想定されます。世界の食糧生産力が恒常的に世界人口を下回る状況とは何かと考えると、それは金を積んでも食料を売ってもらえないということです。
この危機を回避するためには何をすれば良いのか。
それは、国内においては生産者と消費者の関係を適切にすること。つまり、適切な価格とは何か、満足すべき量と質はどの程度か、生産者が生産の維持拡大をするために必要な状況を作るにはどうしたらよいのか、そして消費者においては「足るを知る」ことも重要です。
国際社会においてもこれは同じ事で、供給国との関係を良好に保つこと、相手国の求める何かを提供し、我が国の求める資源を供給してもらうこと。そして、その関係を維持していくことです。
いずれにおいても、適切で良好な取引関係を構築することが肝要なのです。
昔、ある経済学の本を読んでいたときに「商取引とは価値の交換だけでなく良心の交換も伴う」とありました。けだし名言であると感じました。
私たちを日々生かしている食とは何か、それを作っているのは誰か、どのような仕組みで私たちの食卓まで届くのか。
私たちはもっとこの問題を深く理解する必要があると思います。
2015年04月03日
2015年02月12日
「建国記念の日」をご存じですか
昨日2月11日は、建国記念の日でした。戦前は紀元節と呼ばれ祝われていた祝日ですが、戦後いったん廃止されましたが1966年(昭和41年)に建国記念の日となる日を定める政令(昭和41年政令第376号)の公布により再び祝日として復活しました。
2月11日に建国したわけじゃない
他の国々にも建国の記念日はありますが、我が国の建国記念の特徴は科学的・歴史的な信憑性が疑わしいことにあります。それもそのはず、2月11日という日は初代天皇の神武天皇が即位した日という事になっていますが、その根拠は日本書紀の「辛酉年春正月庚辰朔 天皇即帝位於橿原宮是歳爲天皇元年」という記述です。
我が国には西暦のような古代から一貫した2000年を超える暦はなく、数十年単位の年号が断続的にあるだけで最古のものが大化の改新(645年)の時に用いられた大化です。その時の天皇は第36代の孝徳天皇ですから、それ以前の天皇については信頼性の薄い私年号や古代中国の年号や干支などと照らし合わせてさかのぼっていくことになります。
この手順で調べた結果、前述の日本書紀の記述は紀元前660年の旧暦1月1日であるとされました。これを現在の暦になおすと1月29日になりましたが、いろいろ不都合があり再度定めたのが2月11日という具合で、明治6年の話です。
政府の不都合により歴史上の重要な日が変わってしまうのですから、そこに科学的・歴史的信憑性を求めるのは無理というものです。
百歩譲って日付については不問としたとして、紀元前660年というのはどうでしょう。詳しく述べると長くなりますので端折りますが、これが真実なら神武天皇は127歳まで存命だったことになりますし、その後も100歳越えの天皇が軒並み続きます。いくらなんでもこれは現実味が無いと思います。ちなみに初代から9代までは、神話上の人物で実在が疑われています。第10代の崇神天皇が初めて実在の可能性が見込める天皇であり、ほぼ確実に実在が確かめられている最も古い天皇は第15代の応神天皇と言われています(八幡さまとしても有名ですね)。
我が国は世界最古の国家?
さて、建国記念の日の由来について述べてきましたが、最近私が懸念しているのが日本は世界最古の国家であるという主張です。ネット上では以下に示す対照年表の画像が出回っています。

(クリックすると大きな画像をご覧になれます)
この年表の一番下が我が国ということになっていますが、他のどの国よりも長く続いていてるように見えます。
しかし、これをもって我が国は世界最古の国家だという主張は一種のまやかしです。この対照年表を論じるためには「国家とは何か」という点をはっきりさせなければなりません。
我が国に話を限ると、日本の国土はどこからどこまでなのかという点をまず整理しなければなりません。おおざっぱに北海道・本州・四国・九州の4島ということにしてみましょう。この領域が初めて同一政府の元に統治されたのは明治に入ってからです。それ以前の江戸時代では、北海道の大部分は中央政府の統治下になくアイヌ民族の支配下にあったといえます。さらに遡ると、坂上田村麻呂がアテルイの軍を破って東北地方を制圧できたのが8世紀頃ですから、それ以前は西日本しか統治下に収めていなかったことになります。
対照年表上の紀元前2世紀頃から4世紀頃までは(小国分立)と記載されているとおり、その頃の日本は小さな国が割拠していた時代です。有名どころでは女王卑弥呼が治めた邪馬台国などもこの頃ですね。とても日本という統一国家ではありません。
いわゆるヤマト政権が成立したのは4世紀頃と考えられています。九州から近畿あたりまでを支配下に置いたその政権の王が現在に続く天皇家の始まりと考えられますが、そうなると紀元前660年という話さえも大変誇張されたものということになりますね。
天皇家は世界最古の現存する王家
こうした、歴史上の断片的な要素を都合良く解釈して2000年以上も続く国家だという話は、単なる自己満足に過ぎません。誇るならもっと揺るぎない事実をもって誇るべきです。
その揺るぎない事実とは、我が国の皇室が1600年近く続く現存する世界最古の王家・王室であるという事実です。
実在がほぼ確実な最古の天皇である応神天皇の即位がいつだったのかは、はっきりしませんがおそらく西暦270年頃から390年頃のどこかと考えられます。そこから数えれば1600年を超えることになりますが、第26代継体天皇の出自がはっきりしないため、そこで血統が途切れている可能性があります。この点を厳しく評価しても継体天皇の即位は507年頃と考えられるため、そこから現在に至るまで1500年の長きにわたるわけです。
この世界最古の王室という点は、世界の王室や貴族の世界ではとても重要な要素で、2012年に行われた英国エリザベス女王の即位60周年での今上天皇への対応をみても明らかです。外国人からみて、世界最古の王室を戴くNIPPONという島国は、神話の世界から続いているような印象があるかもしれません。
我が国の建国がいつだったのか、それは謎に包まれており建国記念の日の根拠もあやしいものであることは前述の通りですが、それは決してデタラメな話だということではなく、神話と渾然一体になるほど自然に私たちの祖先と国土から生まれ育ってきた国だということなのであって、妙なこじつけで他の国や民族と比べて悦に入る必要はないのです。
そんなつまらない国粋主義は、視野を狭め他の民族や文化に対する敬意を失わせる危険をはらんでいます。殊更に愛国を連呼し旭日旗を掲げて練り歩く面々には特に指摘しておきたいと思います(特に十六条旭日旗は旧海軍の軍艦旗であって、現在は自衛艦旗なのでつまなぬことに使わないでいただきたい!)。
2月11日に建国したわけじゃない
他の国々にも建国の記念日はありますが、我が国の建国記念の特徴は科学的・歴史的な信憑性が疑わしいことにあります。それもそのはず、2月11日という日は初代天皇の神武天皇が即位した日という事になっていますが、その根拠は日本書紀の「辛酉年春正月庚辰朔 天皇即帝位於橿原宮是歳爲天皇元年」という記述です。
我が国には西暦のような古代から一貫した2000年を超える暦はなく、数十年単位の年号が断続的にあるだけで最古のものが大化の改新(645年)の時に用いられた大化です。その時の天皇は第36代の孝徳天皇ですから、それ以前の天皇については信頼性の薄い私年号や古代中国の年号や干支などと照らし合わせてさかのぼっていくことになります。
この手順で調べた結果、前述の日本書紀の記述は紀元前660年の旧暦1月1日であるとされました。これを現在の暦になおすと1月29日になりましたが、いろいろ不都合があり再度定めたのが2月11日という具合で、明治6年の話です。
政府の不都合により歴史上の重要な日が変わってしまうのですから、そこに科学的・歴史的信憑性を求めるのは無理というものです。
百歩譲って日付については不問としたとして、紀元前660年というのはどうでしょう。詳しく述べると長くなりますので端折りますが、これが真実なら神武天皇は127歳まで存命だったことになりますし、その後も100歳越えの天皇が軒並み続きます。いくらなんでもこれは現実味が無いと思います。ちなみに初代から9代までは、神話上の人物で実在が疑われています。第10代の崇神天皇が初めて実在の可能性が見込める天皇であり、ほぼ確実に実在が確かめられている最も古い天皇は第15代の応神天皇と言われています(八幡さまとしても有名ですね)。
我が国は世界最古の国家?
さて、建国記念の日の由来について述べてきましたが、最近私が懸念しているのが日本は世界最古の国家であるという主張です。ネット上では以下に示す対照年表の画像が出回っています。

(クリックすると大きな画像をご覧になれます)
この年表の一番下が我が国ということになっていますが、他のどの国よりも長く続いていてるように見えます。
しかし、これをもって我が国は世界最古の国家だという主張は一種のまやかしです。この対照年表を論じるためには「国家とは何か」という点をはっきりさせなければなりません。
我が国に話を限ると、日本の国土はどこからどこまでなのかという点をまず整理しなければなりません。おおざっぱに北海道・本州・四国・九州の4島ということにしてみましょう。この領域が初めて同一政府の元に統治されたのは明治に入ってからです。それ以前の江戸時代では、北海道の大部分は中央政府の統治下になくアイヌ民族の支配下にあったといえます。さらに遡ると、坂上田村麻呂がアテルイの軍を破って東北地方を制圧できたのが8世紀頃ですから、それ以前は西日本しか統治下に収めていなかったことになります。
対照年表上の紀元前2世紀頃から4世紀頃までは(小国分立)と記載されているとおり、その頃の日本は小さな国が割拠していた時代です。有名どころでは女王卑弥呼が治めた邪馬台国などもこの頃ですね。とても日本という統一国家ではありません。
いわゆるヤマト政権が成立したのは4世紀頃と考えられています。九州から近畿あたりまでを支配下に置いたその政権の王が現在に続く天皇家の始まりと考えられますが、そうなると紀元前660年という話さえも大変誇張されたものということになりますね。
天皇家は世界最古の現存する王家
こうした、歴史上の断片的な要素を都合良く解釈して2000年以上も続く国家だという話は、単なる自己満足に過ぎません。誇るならもっと揺るぎない事実をもって誇るべきです。
その揺るぎない事実とは、我が国の皇室が1600年近く続く現存する世界最古の王家・王室であるという事実です。
実在がほぼ確実な最古の天皇である応神天皇の即位がいつだったのかは、はっきりしませんがおそらく西暦270年頃から390年頃のどこかと考えられます。そこから数えれば1600年を超えることになりますが、第26代継体天皇の出自がはっきりしないため、そこで血統が途切れている可能性があります。この点を厳しく評価しても継体天皇の即位は507年頃と考えられるため、そこから現在に至るまで1500年の長きにわたるわけです。
この世界最古の王室という点は、世界の王室や貴族の世界ではとても重要な要素で、2012年に行われた英国エリザベス女王の即位60周年での今上天皇への対応をみても明らかです。外国人からみて、世界最古の王室を戴くNIPPONという島国は、神話の世界から続いているような印象があるかもしれません。
我が国の建国がいつだったのか、それは謎に包まれており建国記念の日の根拠もあやしいものであることは前述の通りですが、それは決してデタラメな話だということではなく、神話と渾然一体になるほど自然に私たちの祖先と国土から生まれ育ってきた国だということなのであって、妙なこじつけで他の国や民族と比べて悦に入る必要はないのです。
そんなつまらない国粋主義は、視野を狭め他の民族や文化に対する敬意を失わせる危険をはらんでいます。殊更に愛国を連呼し旭日旗を掲げて練り歩く面々には特に指摘しておきたいと思います(特に十六条旭日旗は旧海軍の軍艦旗であって、現在は自衛艦旗なのでつまなぬことに使わないでいただきたい!)。
2015年02月04日
本は偉大な我が師匠 〜私の政治の原点A〜
いわゆる「本の虫」と呼ばれるような読書家と比べれば、私の読書量は少ない方だと思いますが、それでも本なしでは生きていけないと思うほどには読書しています。
もともと海上自衛隊での専門職種は「電子整備」でしたので、技術書などはよく読む方ですが、暇さえあれば様々な本を読みます。今まで読んだ本のうち、これを読んでいなければ今の自分はない、と思えるほどの本をいくつか紹介したいと思います。
誤りの相対性(アイザック・アシモフ)
全17編からなる科学エッセイ集で、本書に収録されている最後のエッセイがタイトルにもなった「誤りの相対性」です。他の16編が科学の諸分野を扱っているのに対し、これだけは教育の問題を取り上げています。
ソクラテスにはうんざりだ、という皮肉を込めた毒を吐くところから始まり、地球が平らであるとは誤りで丸いが正しいという常識に対して、地上に立って肉眼で見渡す限り、地球が平らだという理解はおおむね正しく科学的な客観性があると論じます。
しかし、アシモフは地球が平面だと主張しているわけではありません。現実の地上は山や丘、谷や川など変化や起伏に富んでいて平面ではないのに、それらの地形をならせば平面になるのではないかという古代人の推論を指して、その時代の科学力を考えれば充分に客観性があると説いているのです。
アシモフの論点は「正誤の相対性」です。正誤の関係は絶対的ではなく「その答えはいかに真実に近いか」という相対的な関係なのだと主張しているのです。
そしてアシモフは学校のテストというシステムに言及します。テストでは正解以外はすべて不正解となるが、それが乱暴だと説きます。
例えば1+1は2が正解、それ以外は不正解と評価されます。その通りと思われますがアシモフは、もし答えを2ではなく整数と答える子供がいたらどうするのか、と提起します。テストと答えというルールの中では、2と答えなさいと教えるだろう、しかし整数と答えた子の数学的センスと意欲は明らかに2と答えた子よりも優れている。整数どころか偶数と答える子が現れたらどうするのか、これは知的挑戦の萌芽ではないのかと。
テストと答えというルールや仕組みは教師にも生徒にも便利なシステムだが、それに固執すれば知性を育むことはできない、正誤の関係は連続しており無数の「より真実に近い答え」が存在する。しかし、これに対応することは教師にとって大変な負担であることは理解するが、だからどうだというのか、教育とは困難な仕事なのだ、とアシモフは厳しく言い切ります。
知性とは、教養とは何か。それを身につけ、または育むことはいかに困難でありしかし必要なことであるのかと、アシモフ博士に檄を飛ばされた気持ちになりました。
ローラ、叫んでごらん(リチャード ダンブロジオ)
「ローラ、叫んでごらん フライパンで焼かれた少女の物語」というちょっと長いタイトルの実話に基づいた本です。
主人公のローラは、両親に虐待され1歳半の時にフライパンで焼かれました。異変に気付いた警官に救出されるも、心と体に重い障害が残り、14歳になるまでしゃべることもできず生きる屍としか表現できない状態でした。
そんなローラが、治療に当たった著者と、献身的という言葉では全く足りないくらい慈しみ尽くした沢山の修道女たちによって人生を取り戻す物語です。
この本にはとてもショックを受けて、1週間ほど何も読めなくなりました。身動きもせず感情も表さないローラが、困難を克服して看護婦を目指すラストに「人は救えるんだ」という希望や、「一人を救うために、これほどの手を尽くさなければならないのなら、救いの手が差し伸べられないたくさんのローラがいる」という虚脱感、修道女たちのおよそ人間とは思えないほどの無償の愛など、様々な思いに苛まれました。
私たちの社会にも、不幸や困窮に身を沈めている人々はたくさんいます。そんな人々の救済を諦めてしまえば一人も救えませんが、たとえ微力でもできる限り問題に取り組めば少しは救えるかもしれない。その困難な仕事の最前線で奮闘している「修道女」のマネさえも私にはできませんが、政治の力でサポートすることはできるかもしれない。そういう思いが私の中に生まれました。
精神の危機(ポール・ヴァレリー)
ポール・ヴァレリーは19世紀末から20世紀前半まで活動した、フランスの作家にして詩人であり、知識人です。
私が20才になったばかりの頃だったと思いますが、ふとしたきっかけでこの本に収められている警句を目にしました。
曰く「平和の難解さが、戦争の残虐さを覆い隠している」というものでした。
平和を維持する外交上のプロセスや、日常生活を維持するための様々な行政の手続きは、ともすると退屈で難解なものに感じます。そんな年月を重ねるにつれて、人々の間で戦争のロマンが色づいてきます。
昨今の尖閣諸島を巡る問題を見ても、海上保安庁の巡視船が領海侵犯を繰り返す中国の公船を実力で排除せず、併走しながら領海外へ立ち去るように呼びかけるだけの状況に、フラストレーションを感じる人は多くいます。しかし、海保の対応は国際法に照らしても適切なものであり、武力を行使して鮮やかに排除したりすれば、一時の爽快感と引き替えに取り返しのつかない事態を引き起こします。
84年も前に発せられたこの警句は、現在社会においてますますその価値を高めていると感じます。
私は元自衛官として、様々な武器の威力を知っています。およそ武器というものは非人道的で破壊的なものです。ひとたび牙をむけば、人間の肉体など形もとどめないほど引き裂きすり潰すことができます。その死と破壊の場にロマンなどひとかけらもありません。
この警句は私に、安全保障に対するリアリティを植え付けました。
この他にも紹介したい本はたくさんありますが、上に挙げたこれらの本には、まさに私の人生を決めたと言ってもいいくらいの重大な影響を受けました。
以前、大学の教授たちと話した折りに、最近の学生は本を読まないと嘆いていました。本は人生を豊かにしてくれます。特に若い方々には1冊でも多く本を読んでいただきたいと願っています。
もともと海上自衛隊での専門職種は「電子整備」でしたので、技術書などはよく読む方ですが、暇さえあれば様々な本を読みます。今まで読んだ本のうち、これを読んでいなければ今の自分はない、と思えるほどの本をいくつか紹介したいと思います。
誤りの相対性(アイザック・アシモフ)
全17編からなる科学エッセイ集で、本書に収録されている最後のエッセイがタイトルにもなった「誤りの相対性」です。他の16編が科学の諸分野を扱っているのに対し、これだけは教育の問題を取り上げています。
ソクラテスにはうんざりだ、という皮肉を込めた毒を吐くところから始まり、地球が平らであるとは誤りで丸いが正しいという常識に対して、地上に立って肉眼で見渡す限り、地球が平らだという理解はおおむね正しく科学的な客観性があると論じます。
しかし、アシモフは地球が平面だと主張しているわけではありません。現実の地上は山や丘、谷や川など変化や起伏に富んでいて平面ではないのに、それらの地形をならせば平面になるのではないかという古代人の推論を指して、その時代の科学力を考えれば充分に客観性があると説いているのです。
アシモフの論点は「正誤の相対性」です。正誤の関係は絶対的ではなく「その答えはいかに真実に近いか」という相対的な関係なのだと主張しているのです。
そしてアシモフは学校のテストというシステムに言及します。テストでは正解以外はすべて不正解となるが、それが乱暴だと説きます。
例えば1+1は2が正解、それ以外は不正解と評価されます。その通りと思われますがアシモフは、もし答えを2ではなく整数と答える子供がいたらどうするのか、と提起します。テストと答えというルールの中では、2と答えなさいと教えるだろう、しかし整数と答えた子の数学的センスと意欲は明らかに2と答えた子よりも優れている。整数どころか偶数と答える子が現れたらどうするのか、これは知的挑戦の萌芽ではないのかと。
テストと答えというルールや仕組みは教師にも生徒にも便利なシステムだが、それに固執すれば知性を育むことはできない、正誤の関係は連続しており無数の「より真実に近い答え」が存在する。しかし、これに対応することは教師にとって大変な負担であることは理解するが、だからどうだというのか、教育とは困難な仕事なのだ、とアシモフは厳しく言い切ります。
知性とは、教養とは何か。それを身につけ、または育むことはいかに困難でありしかし必要なことであるのかと、アシモフ博士に檄を飛ばされた気持ちになりました。
ローラ、叫んでごらん(リチャード ダンブロジオ)
「ローラ、叫んでごらん フライパンで焼かれた少女の物語」というちょっと長いタイトルの実話に基づいた本です。
主人公のローラは、両親に虐待され1歳半の時にフライパンで焼かれました。異変に気付いた警官に救出されるも、心と体に重い障害が残り、14歳になるまでしゃべることもできず生きる屍としか表現できない状態でした。
そんなローラが、治療に当たった著者と、献身的という言葉では全く足りないくらい慈しみ尽くした沢山の修道女たちによって人生を取り戻す物語です。
この本にはとてもショックを受けて、1週間ほど何も読めなくなりました。身動きもせず感情も表さないローラが、困難を克服して看護婦を目指すラストに「人は救えるんだ」という希望や、「一人を救うために、これほどの手を尽くさなければならないのなら、救いの手が差し伸べられないたくさんのローラがいる」という虚脱感、修道女たちのおよそ人間とは思えないほどの無償の愛など、様々な思いに苛まれました。
私たちの社会にも、不幸や困窮に身を沈めている人々はたくさんいます。そんな人々の救済を諦めてしまえば一人も救えませんが、たとえ微力でもできる限り問題に取り組めば少しは救えるかもしれない。その困難な仕事の最前線で奮闘している「修道女」のマネさえも私にはできませんが、政治の力でサポートすることはできるかもしれない。そういう思いが私の中に生まれました。
精神の危機(ポール・ヴァレリー)
ポール・ヴァレリーは19世紀末から20世紀前半まで活動した、フランスの作家にして詩人であり、知識人です。
私が20才になったばかりの頃だったと思いますが、ふとしたきっかけでこの本に収められている警句を目にしました。
曰く「平和の難解さが、戦争の残虐さを覆い隠している」というものでした。
平和を維持する外交上のプロセスや、日常生活を維持するための様々な行政の手続きは、ともすると退屈で難解なものに感じます。そんな年月を重ねるにつれて、人々の間で戦争のロマンが色づいてきます。
昨今の尖閣諸島を巡る問題を見ても、海上保安庁の巡視船が領海侵犯を繰り返す中国の公船を実力で排除せず、併走しながら領海外へ立ち去るように呼びかけるだけの状況に、フラストレーションを感じる人は多くいます。しかし、海保の対応は国際法に照らしても適切なものであり、武力を行使して鮮やかに排除したりすれば、一時の爽快感と引き替えに取り返しのつかない事態を引き起こします。
84年も前に発せられたこの警句は、現在社会においてますますその価値を高めていると感じます。
私は元自衛官として、様々な武器の威力を知っています。およそ武器というものは非人道的で破壊的なものです。ひとたび牙をむけば、人間の肉体など形もとどめないほど引き裂きすり潰すことができます。その死と破壊の場にロマンなどひとかけらもありません。
この警句は私に、安全保障に対するリアリティを植え付けました。
この他にも紹介したい本はたくさんありますが、上に挙げたこれらの本には、まさに私の人生を決めたと言ってもいいくらいの重大な影響を受けました。
以前、大学の教授たちと話した折りに、最近の学生は本を読まないと嘆いていました。本は人生を豊かにしてくれます。特に若い方々には1冊でも多く本を読んでいただきたいと願っています。
2015年02月03日
事に臨んでは危険を顧みず 〜私の政治の原点@〜
いろいろ思うところがありまして、私自身の政治の原点を少し整理してみたいと思います。
私が海上自衛隊に入隊したのは昭和63年4月5日のことでした。もともと自衛隊に入隊する気はなく、なりゆきで試験を受けましたが、経済的にはあまりよい状況ではなかったため、いずれにしろ進学できるような状況ではありませんでした。
しかし、私自身は家の経済状況を顧みたわけでも、自衛隊を積極的に目指していたわけでもなく、自衛隊函館地方連絡本部(略称・函館地連。自衛官の募集業務などを担当しています。現在は地方協力本部と改称されています)の募集担当者に手渡されたパンフレットの初任給に目がくらんで志願しました(11万少々の金額でした。浅はかですね)。
そんなわけで、たいした目的意識も無く、うっかり入隊してしまった私でしたが、最初に送り込まれた場所は、海上自衛隊横須賀教育隊というところで、第261期練習員という身分になりました。着隊から数日の間に私物は送り返され、頭は角刈りにされ、全員同じ青い作業服で不揃いな隊列を組み、入隊式の演練(自衛隊用語で練習の意)を繰り返しました。
入隊式では、全員が声を合わせて次のような宣誓文(服務の宣誓)を読み上げます。
この宣誓書を初めて読んだときギョッとしたものです。事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努め・・・って、これって任務のためなら死んでもかまいませんって事じゃないか、ということに気付いたからです。ヤバいところに来てしまった、と気が付いても後の祭り。宣誓し、宣誓文に署名捺印して、白石2士(2等海士の略で昔の2等兵みたいな階級)というヒヨッコ海上自衛官の一丁上がりというわけです。
その後に続く4ヶ月半の地獄の訓練の話は次の機会に譲りますが、この宣誓については繰り返し考えることになりました。
身の危険も顧みず遂行する任務とは何か、命を捧げて守らなければならない国家とは何か、そんな厳しい宣誓をしてまで任務を果たそうとする自衛隊とは何か、といった具合です。
その年の8月に横須賀教育隊での練習員課程を修了し、青森県大湊の第32護衛隊「護衛艦おおい」に初任海士として配置されました。海の世界は初めて見るものばかりで、とても楽しいこともありましたが、艦の仕事はとても厳しく辛い日々でもありました。
そんな護衛艦勤務を過ごしていたある日、海も天気も穏やかで、艦は三陸海岸の沖を北上していました。私は、たまたま甲板上に出たのですが、そのとき目に飛び込んできた三陸海岸の景色は、それはそれは荘厳で息をのむほど美しいものでした。
しばらく見つめていて、そしてふいに気付いたことがありました。「これが自分たちの国なんだ・・・」自分が何のために危険な誓いを立てたのか、自分なりに理解した瞬間でした。この美しい国土と、そこで生まれ育って生きていく人たちを守るために自分たちがいるんだという実感でした。
もちろん、その時はここまで明確に悟ったわけではありません。後になって振り返ればこんな感じだったということです。
私たちは皆、故郷の風土とそこに積み重ねられた歴史や伝統に大きな影響を受けながら成長し、暮らしていきます。人はただ人のみで人となるのではなく、自らを包むあらゆるものによって自己を形成し、認識し、生きていくのです。故郷を守ることは自分を守ることになるのです。
政治の世界とは、時に論理が通らず無理がまかり通る、権謀術数の濁った海と思えるときがあります。しかし、命を捧げる誓いを立てた身にとって、そんな政治の海など恐るるに足らず。私たちの故郷を守るために行動し、誓いを果たし続けることが私の政治家としての原点のひとつなのです。
私が海上自衛隊に入隊したのは昭和63年4月5日のことでした。もともと自衛隊に入隊する気はなく、なりゆきで試験を受けましたが、経済的にはあまりよい状況ではなかったため、いずれにしろ進学できるような状況ではありませんでした。
しかし、私自身は家の経済状況を顧みたわけでも、自衛隊を積極的に目指していたわけでもなく、自衛隊函館地方連絡本部(略称・函館地連。自衛官の募集業務などを担当しています。現在は地方協力本部と改称されています)の募集担当者に手渡されたパンフレットの初任給に目がくらんで志願しました(11万少々の金額でした。浅はかですね)。
そんなわけで、たいした目的意識も無く、うっかり入隊してしまった私でしたが、最初に送り込まれた場所は、海上自衛隊横須賀教育隊というところで、第261期練習員という身分になりました。着隊から数日の間に私物は送り返され、頭は角刈りにされ、全員同じ青い作業服で不揃いな隊列を組み、入隊式の演練(自衛隊用語で練習の意)を繰り返しました。
入隊式では、全員が声を合わせて次のような宣誓文(服務の宣誓)を読み上げます。
私は、わが国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身をきたえ、技能をみがき、政治的活動に関与せず、強い責任感をもつて専心職務の遂行にあたり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえることを誓います。
この宣誓書を初めて読んだときギョッとしたものです。事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努め・・・って、これって任務のためなら死んでもかまいませんって事じゃないか、ということに気付いたからです。ヤバいところに来てしまった、と気が付いても後の祭り。宣誓し、宣誓文に署名捺印して、白石2士(2等海士の略で昔の2等兵みたいな階級)というヒヨッコ海上自衛官の一丁上がりというわけです。
その後に続く4ヶ月半の地獄の訓練の話は次の機会に譲りますが、この宣誓については繰り返し考えることになりました。
身の危険も顧みず遂行する任務とは何か、命を捧げて守らなければならない国家とは何か、そんな厳しい宣誓をしてまで任務を果たそうとする自衛隊とは何か、といった具合です。
その年の8月に横須賀教育隊での練習員課程を修了し、青森県大湊の第32護衛隊「護衛艦おおい」に初任海士として配置されました。海の世界は初めて見るものばかりで、とても楽しいこともありましたが、艦の仕事はとても厳しく辛い日々でもありました。
そんな護衛艦勤務を過ごしていたある日、海も天気も穏やかで、艦は三陸海岸の沖を北上していました。私は、たまたま甲板上に出たのですが、そのとき目に飛び込んできた三陸海岸の景色は、それはそれは荘厳で息をのむほど美しいものでした。
しばらく見つめていて、そしてふいに気付いたことがありました。「これが自分たちの国なんだ・・・」自分が何のために危険な誓いを立てたのか、自分なりに理解した瞬間でした。この美しい国土と、そこで生まれ育って生きていく人たちを守るために自分たちがいるんだという実感でした。
もちろん、その時はここまで明確に悟ったわけではありません。後になって振り返ればこんな感じだったということです。
私たちは皆、故郷の風土とそこに積み重ねられた歴史や伝統に大きな影響を受けながら成長し、暮らしていきます。人はただ人のみで人となるのではなく、自らを包むあらゆるものによって自己を形成し、認識し、生きていくのです。故郷を守ることは自分を守ることになるのです。
政治の世界とは、時に論理が通らず無理がまかり通る、権謀術数の濁った海と思えるときがあります。しかし、命を捧げる誓いを立てた身にとって、そんな政治の海など恐るるに足らず。私たちの故郷を守るために行動し、誓いを果たし続けることが私の政治家としての原点のひとつなのです。

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