2014年05月18日

我が国の集団的自衛権というお題目は勘違いの円舞

 ここ最近、集団的自衛権という言葉が世間を賑わせていました。我が国が戦争に巻き込まれるとか、戦争のできる国になっちゃうとか、憲法解釈を変えるのか改憲しなければいけないのかなど、実にズレた議論に終始した感があります。
 本当に、我が国のマスコミやコメンテーターの先生方、政治家とか専門家ということになっている方々は、安全保障に関して弱い向きが多いです。弱いだけなら仕方ないかとも思いますが、理解が及ばないのに分かったように自信たっぷりと妙な自説を展開するから、いつまでたっても話がまとまりません。

 我が国は、集団的自衛権というものを戦後ずっと行使し続けてきました。それだけでなく、世界平和を希求する憲法を持ち国連による平和的な紛争防止や解決を重視する我が国の立場やあり方を考えた場合、集団的自衛権を否定することはできないはずです。

国連による平和構築と集団的自衛権は切っても切れない関係
 実は集団的自衛権という概念は、国連憲章第51条で個別的自衛権とともに定義されています。その条文を以下に引用します。
この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。

 個別的自衛権という概念は国連憲章成立以前から国際法上の国家固有の権利として承認されていましたが、集団的自衛権についてはこの憲章によって初めて定義されたと考えられます。国連はなぜこの権利を必要としたのでしょうか。
 これには、国家間の軍事的紛争の発生とその経過、結末を考えなければなりません。もし、ある2国間で軍事的緊張が高まり武力衝突してしまったとします。その衝突した両国が共に国連加盟国だった場合、国連は安全保障理事会で、停戦や兵力の引き離し、和平に向けた様々なプロセスを用意する、といった措置をとることになっています。
 しかし、その措置をとるためにどれくらいの時間がかかるのでしょうか。武力衝突が起きたら次の週の月曜日にでも国連軍が大挙して出動して解決するとでもいうのなら大変結構なことですが、どう考えても無理な相談です。
 つまり、国連の措置には時間がかかり、その間に強い方の国が他方を殲滅してしまったら意味がなくなってしまうのです。だから国連の措置が効力を発するまで、弱い国は他国と軍事同盟などの関係を構築して集団で自衛して時間を稼ぐ必要がある、という考え方が集団的自衛権につながるのです。
 国連にとって加盟各国が集団的自衛権を行使することは、重要な前提の一つであるということなのです。

日米安全保障条約は集団的自衛権そのもの
 日米安全保障条約(以下、日米安保条約と称します)に限らず、相互防衛を約束する軍事同盟は集団的自衛権そのものと言えます。植民地主義や帝国主義的な国家間競争が支配していた昔なら「自衛的」じゃない攻撃的・侵略的な軍事同盟もあり得たでしょうが、21世紀の国際社会では集団的自衛権の表現型としての軍事同盟以外は難しいと思われます。
 日米安保条約は相互防衛ではなく、米国が我が国を防衛するだけの片務的安全保障条約と主張する方もいますが、実態は米国の軍事力を我が国の防衛に利用する代わりに、我が国を戦略根拠地として提供することにより、米国の国益を守っているのです。ですから、日米安保条約は片務的と言うより非対称的な軍事同盟なのであり、集団的自衛権の一つの行使であるのです。

保持すれども行使せずは詭弁
 上記のような集団的自衛権についての原理や原点についての議論はあまり見られず、枝葉末節な各論だけが目立ちますが、こうなってしまった原因の一つはかつての自民党政権時代に「集団的自衛権について、我が国はそれを保持しているが行使できない」という詭弁を弄してしまったところにあると考えています。情けないことに野党やマスコミなどもその政府見解を屁理屈であると見抜けずに議論の応酬を続けてしまったため、もはや屁理屈と屁理屈の競い合いになってしまっています。
 しかし、我が国は法治国家ですから法的根拠なしに軍事力を利用するわけにはいきません。そして世界の情勢は刻々と変化しており、いつまでも世界に通用しない屁理屈合戦を続けていては、肝心なときにたくさんの人命という高い授業料を払っていろいろと学ぶことになるかもしれません。
posted by しらいし at 01:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治・行政

2014年02月22日

選挙戦の最中にご意見頂戴しました。感謝!

 選挙戦の真っ最中ですが本日、私の掲げている政策についてのご批判の葉書を受け取りました。
 批判は主に次の2点からなります。

1.防災対策について
2.食品衛生協会の啓発活動中の写真について


以下に、私の掲げた内容と照らし合わせながらご説明します。

防災対策について
[原文]
 2011年3月の東日本大震災は、いまだに傷が癒えない悲惨な体験でした。北斗市は幸いにも大きな被害はありませんでしたが「災害は忘れた頃にやってくる」の格言通り、いつまた被災するか予断を許しません。
 そして、北斗市にとって津波よりも大きな災害となる可能性があるのは、駒ヶ岳の大噴火です。
 8年以上の自衛隊勤務と、その後の18年におよぶ予備自衛官の訓練で得た、様々な防災対策・危機管理のノウハウを市政に生かしていきたいと考えています。

これに対してのご批判は次の通り
津波より大きい駒ヶ岳の噴火は北斗には山で囲まれているのでこない。不勉強(原文ママ)

 おそらく、この方は噴火による火砕流の話をされていると思いますが、火山の噴火でより甚大な被害を広範囲に及ぼすのは火山灰です。火山灰の種類にもよりますが、5cmも積もれば交通・電力・水道などのインフラがマヒしてしまいます。水分を含むと重くなって固まるために雨が降っても流れるどころか、家を押しつぶすこともあります。
 そして、駒ヶ岳の降灰は歴史上何度も記録がありますし、有史以前にはもっと凄い大噴火もしているようです。その証拠は大野平野の地下に火山灰層として残っています。
 津波対策は確かに大切ですが、いろいろ検討した結果では北斗市に東日本大震災を超える大規模な津波が押し寄せることは、ほぼありません。もしあるとすれば東日本大震災の大きく超えるエネルギーの地震ということになると思いますが、それは例えばマグニチュード10という規模であり、現在までのところそんな地震が発生する可能性があると考えられているケースは、アメリカ・カリフォルニア沖からチリ沖までの全ての断層が連動した場合だけです。


食品衛生協会の啓発活動中の写真について

 これは、政策をまとめたリーフレットに掲載している私の活動内容についての写真の1点についてのことで、食品衛生協会の啓発活動中の写真に私が写っていなくて、現職議員の一人が写っている点を批判したもので、以下の通りです。
 食品衛生協会の啓発活動の写真で本人がいないでどうして1年後の立候補をのせているのか理解に苦しむこれでは票は伸びませんよ(原文ママ)

 問題の写真は「ふるさとの夏まつり」にて行われた渡島食品衛生協会の啓発活動中を写したもので、ステージ上で話しているのは渡島食品衛生協会の会長(当時)で現職の北斗市議会議員の寺澤十郎氏です。
 写真の注釈には、
食品衛生協会の啓発活動(私が撮影しているので写ってません)私も衛生指導員として活動しています
と、していました。

 このご指摘については、なんとも言えないものがあります。よく政治家本人が様々な活動をしているシーンの写真が公表されますが、これは当たり前ですが誰かが撮影しなければ得られません。私の経験では、撮影者をあらかじめ用意しておかない限り、自分の活動中の写真などは、なかなか手に入るものではありません。イベントの現場でスタッフとして働いていると、自分の写真を撮ってもらうよう頼んでる余裕はないのです。
 しかし、写真で活動を伝えることも大切ではあります。実に悩ましい問題です。

 いずれにしろ、ご指摘いただけることそのものは、とてもありがたいことです。できましたら、ご忠告いただいた方の連絡先も記していただけると、さらにありがたいですね。そういう方々とは直接お声を頂きたいですから。
タグ:選挙
posted by しらいし at 07:31| Comment(1) | TrackBack(0) | 政治・行政

2014年01月11日

最後の命令

 来月、北斗市議会議員の補欠選挙が実施されます。私も出馬すべく準備に奔走しているところです。そんな日々の中で「自分の原点とは何か」ということを繰り返し考え思い起こしていますが、いくつかある「原点」のひとつについてお話ししたいと思います。

 もう17年以上前の話になりますが、平成8年6月30日にそれまで8年3ヶ月勤務した海上自衛隊を退職しました。最後の勤務地は松前警備所でしたが、退職日の朝に警備所長に挨拶をしたときのことです。
 「今まで海上自衛隊のためにずいぶんと貢献してもらった。これからは民間人として社会に貢献してもらいたい」という言葉を頂きました。
 海上自衛隊に貢献した、とは多分にリップサービスもあろうかと思いますが、それにしても衝撃的だったのは後半部分の「民間人として社会に貢献してもらいたい」の部分でした。
 いささか大げさかも知れませんが、私はこの言葉を自衛官として受ける最後の命令だと思ってしまったのです。さらっと受け止めれば、それほど大げさではない月並みな言葉だと思います。所長もそういったニュアンスでおっしゃったのかも知れませんが、とにかく私にとっては全く忘れることのできない命令となってしまったのです。そして、この命令は取り消されたり任務を完了して報告することができません。なぜなら民間人になった私には報告すべき上官がいないからです。なので、ずっとこの任務は続くことになります。
 ここまでお読みになって、馬鹿げたことを言っていると思われることでしょうが、しかし人生を決める言葉なんてこんなものでしょう。
 だから、私の「社会に貢献する」という任務は終わらないのです。最後の命令に従うこと、それが自衛官だった者としての矜持ですから。
posted by しらいし at 05:09| Comment(2) | TrackBack(0) | 政治・行政

2013年12月18日

駅名で揉めてる場合じゃない ―新幹線時代の北斗市を考える―

 開業が2年と3ヶ月ほどに迫った北海道新幹線について、今に至るまで新駅の名称が問題になっています。北斗市市渡のJR渡島大野駅が現存する場所に新たに建設している新駅の名称が「新函館」なのか「北斗函館」で新駅所在地の北斗市と隣接する函館市の間で揉め続けているのです。
 感情論も絡んで、すっかり対立関係になってしまった両市の主張は今のところ平行線のままです。未だにこんな事で揉めているようでは、新幹線の利活用による道南経済の振興など絵に描いた餅になりそうですが、いったいどうしたらよいのでしょうか。

最初の計画はもっと別な場所だった
 函館市の政財界には、未だにJR函館駅(以下、現函館駅と称します)への新幹線乗り入れを主張している人々がいます。主張することは自由ですが、それがどれほど現実味のある話なのかをよく考えなければなりません。 北海道新幹線の路線図。奥津軽・新函館・新八雲・新小樽は仮称。作者Hisagi (氷鷺)
 はっきり申しまして、現函館駅への新幹線乗り入れは元から可能性のない話です。1973年に整備新幹線計画の1線として始まった北海道新幹線ですが、「新函館駅(仮称)」のもともと計画されていた場所は函館どころか旧大野町(現在の北斗市)ですらなく、なんと大沼の付近でした。
 新幹線はスピード重視の路線なので、在来線と異なりできるだけ直線に近いルートを選択します。そのため山があれば迂回せずにトンネルを掘ってルートを確保します。木古内から札幌方向へ直線状のルートをとると、函館・大野平野ではなく大沼・森町の方向になってしまうのです。しかし、道南の中心都市は函館市であり新駅が大沼付近となってはあまりに遠すぎるため、最大限に函館側に寄せたルートが現在建設中のルートなのです。
 現在のルートは大野平野で大きなカーブをたどりながら市渡の新駅に乗り入れする形になっていますが、新幹線は半径約3,000m以下が曲がれないため、大きなカーブに見える現在のルートは新幹線にとっては急カーブなのです。

スイッチバックは不可能
 では、現函館駅に真っ直ぐ入り進行方向を逆にしてから札幌に向かえばよい(スイッチバックといいます)という意見を述べる方もいらっしゃいますが、これも可能性はありません。新幹線のスイッチバックは認められていないのです。
 秋田新幹線はスイッチバックしているじゃないかという反論もあるかも知れませんが、秋田新幹線は新幹線ではありません。ミニ新幹線と呼ばれている秋田新幹線と山形新幹線は、在来線の軌道を標準軌(1,435mm)に改軌し高速化改良を加えた上で、新幹線路線と直通運転できるようにしたもので、法律上は在来線のままなのです。ですから、秋田新幹線のスイッチバックは参考になりません。

現函館駅は新幹線規格で整備したという話
 2003年に供用開始した現函館駅は、新幹線規格で整備したという話になっています。しかし、当時合併前の大野町議会議員だった私は、新幹線関連の中央陳情で総務省の担当者からある話を聞きました。それは、私たち陳情団と担当者の次のようなやりとりでした。
[我々] 今からでも現函館駅への新幹線乗り入れは不可能なのでしょうか。(私たち大野町の議員団としては、函館市との良好な関係も重要だという認識がありました)
【担当者】技術的に見てもあり得ません。
[我々] スイッチバックすれば可能なのではないですか?
【担当者】それもあり得ません。(理由は前述の通り)
[我々] では、何らかの方法でとにかく現函館駅に新幹線が乗り入れるとすると、どういう方法が考えられますか?
【担当者】北海道新幹線の整備はそこで終了です。札幌への延伸はなくなります。それで北海道や札幌市は納得しますか?
[我々] ・・・・・。

と、このような話でした。国の視点では、函館市に最大限配慮して今の位置になったのであり、これ以上の譲歩はあり得ないという感覚なのです。
 問題は、この話は秘密でも何でもなく私たち地方議員の質問にあっさり答えてもらえる程度の情報なのです。ですから、函館市の担当者であっても当然承知のことだったはずです。それなのに新幹線規格で駅舎を建てましたとはどういう話なのでしょうか。
 函館市の政財界の方々と北海道新幹線について話をすると、情報やその理解についてのバラツキに驚くことがあります。国の方針では現函館駅への乗り入れは、ずいぶん前から可能性が無くなっていたという情報は、誰も入手できなかったのでしょうか。それともどこかで誰かに握りつぶされてしまったのでしょうか。
 可能性がないのに多額の予算を投じて駅舎を建設したのなら、それはずいぶんと罪深い話です。

新駅の名称はもともと新函館駅だった
 大野町(当時)の議会議員としては、新幹線の新駅が自分の町にできるということは実に喜ばしいことでした。しかし議会や委員会の場などでは、新駅の名称については一貫して「新函館駅(仮称)」と呼んでいました。もちろん「新大野駅」などという名称になればそれは誇らしい話ですが、いくらなんでも新幹線の駅名に大野はないだろうという認識でした。
 状況が変わったのは上磯町(当時)との市町村合併を経て新たに北斗市となってからです。初代市長を選ぶ市長選挙の最中に後に当選して初代市長となる海老澤順三氏が「北斗駅」なる名称を主張し始めたのです。選挙が終わって市長室に挨拶に伺った際に真意を尋ねたところ、率直に「北斗駅という名称になる可能性はない」という話をされました。
 海老澤前市長の作戦は、いったん北斗駅という主張をぶつけておいて、後に妥協して北斗と函館の両名併記に落ち着くというものだったようです。このような交渉戦術はまさに玄人の手並みであり、事実そのような状況に近づきつつあります。
 問題は、このような高等戦術を理解しないで感情的になってしまう人々が、騒ぎを大きくする点にあります。そしてこういった人物は函館市側にもたくさんいます。

函館市は地域のリーディングシティなのか
 2004年6月に北海道新幹線の着工が決定し、新駅と関連施設の建設について費用負担をどうするかという課題が生まれました。当時の大野町は函館市にも費用負担を求めましたが、にべもなく拒否されました。函館市側は、現函館駅に新幹線が乗り入れることもなく、新駅が市内に作られることはないことがはっきりしたため、北海道新幹線についての当事者となる意志がなくなった様子でした。その後、合併により誕生した北斗市が建設費用の負担分をそのまま引き継いだため、北斗市側には「カネも出さない函館市に意見する権利はない」という市民感情が少なからずあります。
 道南を俯瞰すると、函館市は政治的、また経済的にも道南におけるリーディングシティと呼ぶべき存在です。ところが、当の函館市はそういった意識がいささか薄いと言わざるを得ません。新駅の費用負担の問題のみならず、並行在来線となるJR江差線の経営分離問題でもなかなか当事者になろうとはせず、江差線など知ったこっちゃないといった態度でした。現函館駅の1日の乗降客数は約8,000人ですが、この全てが五稜郭駅からの乗客と札幌東京間の乗り換え客というわけでもないでしょう。現函館駅で乗り降りする利用客の一部は北斗市や木古内町などからの乗客なのです。多額の予算を投じて駅舎を建て替えた点を考えると、ますます利用客を増やすために積極的に関与しなければならないはずです。
 こういった点や、市内観光拠点や街並みの整備の不徹底を見ると、函館市の問題意識やリーダーシップは弱いと思わざるを得ないのです。

我が北斗市のとるべき道
 北海道新幹線の開業を控えて、北斗市は様々な観光資源開発を計画しているようですが、私はいささか疑問に感じています。
 批判を恐れずに申しますと、我が北斗市が新駅に関連してとるべき施策は大きく二つ、
1.観光は他のマチに任せて中継役に徹する
2.東北経済圏とのつながりを築いて、企業誘致を行う

です。
 道南の観光振興については、以前の記事でお示ししていますのでそちらをご一読頂きたいと思います。
道南の観光振興を考える(1)
道南の観光振興を考える(2)
道南の観光振興を考える(3)

 企業誘致については、高谷寿峰市長が精力的にトップセールスを行っていますが、より効果的な方法で行うべきです。
 企業の視点から見ると、よその市長が誘致のために訪ねてきたところで、そう簡単に進出を検討したりはしません。企業が他の地域に進出をはかるとしたら、その判断基準は「その地域で儲かるか」という点に尽きます。想定されるリスクを上回る利益が予想されるなら、企業は利益を求めて進出を決断します。企業の利益を役所が約束するということはそう簡単にできることではありませんが、リスクを減じることはある程度できます。進出した企業に補助金を交付することもリスクの低減ですが、あらかじめ人脈を構築してやることもまたリスク低減につながります。つまり、市長や担当課の職員だけがトップセールスに歩くのではなく、市内の主立った企業や金融機関の要人も常に同行してもらうのです。
 そうすれば、市長がトップセールスでこじ開けた扉を通して互いに行き来することができます。
 私も現在、ある工場誘致の事案に関わっています(詳細はまだ明かせません)。相手の担当者は市議会議員としての私の存在に価値を見出していた様子で、落選したときはいろいろと苦言を頂戴しました。それでも数年内には何らかの結果が出そうです。我が北斗市の経済振興にわずかでも貢献できれば幸いです。

新幹線は一自治体の専有物じゃない
 新幹線は一自治体のものじゃないと強く感じるようになったのは、2005年の着工式からです。
長野新幹線.jpg その時、着工式に出席を求められたのは町長や議会議長、商工会長などの方々で、その他の議会議員は対象外とされました。町の代表として列席できないことを憤慨していた議員も何名かいましたが、現場に行くとそんなの当たり前だと思えるような光景が目に入りました。
 来賓として幾人もの国務大臣や国会議員などが集まり、それらをアテンドしていたのが高橋はるみ北海道知事だったのです。知事がスタッフとして来賓ひとりひとりに頭を下げてお迎えする姿は、新幹線は国家プロジェクトなのであってひとつの町や地域が勝手に振り回して良いものではないということをまざまざと物語っていました。
 北海道新幹線は道南全てに恩恵をもたらすものでなくてはなりませんし、北斗市も函館市も海に浮かぶ孤島じゃないのですから、経済的には互いに深くつながりあっています。だから、北斗市だけが新駅を使ってひとりで儲けることはしてはなりませんし、そもそもできやしないのです。道南の持つ全ての力を集めて、全体で豊かになる道を探らなくてはならないのです。
posted by しらいし at 04:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済

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